ナイルレストランは問答無用なのです。本当に言葉通りなんだよ。皆さんもご存じでありましょう。それはつまり「ムルギーランチ」のこと。
カレーですよ。
黙って座ればサッと出るムルギーランチ。よくあるレビューサイトなどで「メニューを選ばせてもらえなかった」「断りきれなかった」などの意見(もちろんそんなことはない。ちゃんと伝えればメニューが出るよ)でお馴染みのあれです。憤慨する方も多いようだけどね、それはなんというか、修行不足!郷に入っては、なのですよ。
「考えりるな、感じろ」なんだよ。お店、
「ナイルレストラン」
からの強いリコメンドにはなにかワケがあるんじゃないかな、とかと考えられないものだろうかね。
言い方は悪いけどそういうやりとりはさ、老舗店の一種アトラクションなんだよ。長くやっている中で必然で残った慣習であって、理由があるはず。問答無用というのは定型ではなく言葉の意味そのものなのです。問いかけや質問はいらないということ。黙って受け入れて、感じて、納得して。
それで、顔をまだ覚えてもらえない程度だとやっぱり勧められちゃうムルギーランチだけど、ちゃんとウェイターさんの顔を見て「〇〇回ほどムルギーランチは食べてて美味しかった、今日は違うものを食べたい」と伝えればメニューが出てきます。出てこないのは、、、それはレストランが悪いとかじゃなくてやっぱりコミュニケーション能力が足りなかったりするんじゃないかな。それはつまり余裕がない輩には楽しめない。そういうこと。
余裕がない人はコミュニケーションが不要の店もあるので、単純に選択ミスということです。考えてもみてほしい。お店であんなに楽しそうに多くの人が食事をしていて、それが70年以上続いていて、そのことにどんな意味があるのか。ね、見えてくる。
それで、
「ムルギーランチ」
です。
わたしなぞむかしむかし、通い初めはは何度食べてもよくわからずに何度も何度も通っては食べて考えてました。あの頃はどうやら舌の引き出しがまだまだ足りなかったようでね。ムルギーランチは間口が広いが奥も深いんです。食べ手の舌と経験がものを言う場所。
何も食べ物のことだけではないんです。ある程度の経験や知識を得なければ一定のレベルから次の段階へは進めないというのはどんなジャンルでも共通することで。同じ料理を食べても自分の体験や経験が多くなっていくにつれ見えてくることがあります。とても楽しいです。スポーツや技術を習得する時も段階を踏んで成長すると言うのは当たり前のことだと思います。
それで、ムルギーランチはそういう成長のベンチマークにできそうな面白さを持っていると感じます。きちんとした素材からくる味、香り。最近の流行のように1つだけスパイスの香りを突出させるなどしない調和と融合のあるスパイス遣い、混ぜて食べると言うスタイル。どれもが要素となっており、経験を経るとそういうものが見えてくる。そしてそれら1つでも欠けるとムルギーランチではなくなってしまうんです。
それを理解できるかできないか、という話し。
わたしの場合は30年以上かけて、
「いうほどおいしいのかな?」→「久しぶりに食べたら何か要素が多くないか?」→「理由を知って食べるとうまいなあ」→「そうか、自分の経験と知識の照らし合わせでやっと込められた意味が見えてきた」
というところまで辿り着きました。若輩ぶりが露呈して恥ずかしいです。
やっとそこまで辿り着いたんですよ。それで、そこまでの過程はとても楽しいものでした。
ムルギーランチにいつも感じるのはシンプルさと奥深さの両方です。ミックススパイスのある種の最高峰であると考えられるカレー粉。それを実にセンスよく使っています。いや、カレー粉ではないのかもしれないね。カレー粉を使った料理に対する体験と似た感じの食体験が得られるという意味です。スパイスというものは面白いものだよね。調合し、タイミングを変え、熱の加減を考え、個性を生み出していく。その中で重なるものや湯気の向こうにうっすら見えてくるものがある。いつでもそう感じます。
ムルギーランチとはインド料理とカレーの間に存在するミッシングリンクなのではないだろうか。改めてそう考えています。
とても不思議なひとさらなのです。