カレーですよ4795(大森 インド宮廷料理 Mashal / マシャール)日本のインド料理の新章の始まり。

伝説の、歴史的、なぞ書くのは簡単なこと。それ風に筆を進めて少しいいことを書いてやればいいわけですよ。今じゃあSNSやなんやらでどこでもここでもみんな悪気なくやっています。でもね、本当の本物のことを書くとなるとこれはもう、とても緊張するわけです。なぜなら他にもたくさん、その人を本物の伝説としてリスペクトする人たちがいるから。嘘が書けない。

 

 

カレーですよ。

 

 

そうやって「伝説の人」を心から讃える人達こそが本物であり、その人たちもちょっと伝説に近いような人たちであるわけで。そういう本物が讃える本物なんです。トップオブトップ、なんです。フセインシェフのことを話すとすれば、そういうことになります。

日本のインド料理の創世記におけるレジェンドの一人であり、その歴史に大きく影響を与えてきたのがモハメド・フセインシェフその人です。

1970年代、バックパッカーのカルチャー華やかなりし時代のインド、オールドデリーの有名レストラン「カリムホテル」で腕を磨き、あのタタグループ創始者、ジャムシェトジー・タタが築いたムンバイの超一流ホテル、タージマハル・ホテルのレストランでの経験を持っての来日。昭和のインドレストランの代表とも言える赤坂のタージ、多くのインド料理の日本人シェフを輩出したアジャンタ、青山のシターラの料理長も務め、駅ナカのインドレストランという画期的な業態のシターラダイナーを務め上げた名シェフです。

満を持しての自店舗、

 

「インド宮廷料理 Mashal」

 

がこの夏、7月1日にオープンしました。日本のインド料理の祖のひとり、フセインシェフの料理が東京、大森で食べられることになったわけです。

わたしにとっては一つの邂逅というところもありました。

15年ほど前のオールドデリー。フセインシェフが腕を磨いたカリムホテルに行ったことがありました。大変貴重な経験でして。あの味、あの空気、あれを思い出しながら、東京でフセインさんがタンドールで調理をした料理を食べられるというのは、冗談ではなく胸の辺りにむずむずと込み上げてくるものがあるのです。もちろんその頃フセインシェフはすでに東京にいました。すでにその技術を学んだシェフたちが活躍を始めている時期ではありますけれど、つながりのようなものを感じます。

この日はマシャールのオーナーであるアリ三貴子さんのご招待でオープニングレセプションにうかがいました。パーティーなのでブッフェスタイルとなっていましたが、逆に動揺、困惑。あのフセインさんの焼き物がブッフェの大皿にに無造作に大盛りで置いてあるわけですよ。こんな光景、震えが走ります。逆にこれは欲張ったりできないな、と恐れを抱く光景で忘れられません。

席数50数席、テーブルもゆったり大きめで居心地いい店内です。カウンターが大きくとってあり、その内側のバースペース、ドリンクコーナーが充実している様子。広い厨房もちらりと見えました。

ホールの奥にはちょっと仕切られている感じの個室使用ができそうなパーティースペースもあり、使い出が良さそうなお店。

壁は木目調で出てくる料理に見合う落ち着きがあります。

モザイクのライトやセンターのシャンデリアもかっちりしたレストランの雰囲気を作り出していました。雰囲気、あります。

フセインシェフはアジャンタでのタンドールシェフとしての時間があり、その血脈がわたしの友人であり尊敬するシェフの和魂印才たんどーるの塚本シェフに繋がっています。

わたしはこの夜、確実に日本のインド料理の歴史の中にいたということになるでしょう。そのいくつかある源流。新宿中村屋の二宮総料理長、ナイルレストラン創設者A.M.ナイル氏とそこから3代続く店主たち、そしてアジャンタで学んだ日本人シェフたち。

本当の上流、源流はどこにあるのか。ただ食べるばかりのわたしが語るのは野暮な話しではあります。それでもやはり、わたしはその源流の一つであるレストランの席に今、着席しているのだという事実を強く噛み締め、意識せずにはおれなかったのです。

 

やはり、東京のレストランシーンというのは他の国のフーディーたちに胸を張れるものがある。そう確信した夜でした。