このイラスト。このマークが印刷物になっているというだけで尊いのです。驚いたんです。
カレーですよ。
むかしむかしはわたしも使っていましたが、時代は流れ、現在に於いて「再現度」などいう言葉を使っている時点でその文章は三流だ、と断言します。ちょっと乱暴だけど、あえて言います。もちろん相手先、看板を貸しているお店が再現を求めるならそれは正解なのでいいと思うんだどね。
カレーやらレストランの食べ物などに「再現度」なんていう言葉を使ってるメディアは、古いといえます。再現とか同じような味、ではないんだよ。あれはね、コラボレーション。メーカーとお店が新しいメニューを共同開発している、そういう言い方が正しいと思います。
監修をしているお店の、店主の個性やスタイルが感じられるか、食べながら店主の顔が浮かぶのか否か、そういうことなんだと思うよ。おんなじ味がするからコックさんの顔が浮かぶ、ではないんだよ。その調理人のクセや追求するものが思い起こされるかどうか、なのです。
大事なことなのですが、とにかく店の看板を借りたメーカーはその看板を棄損するようなことは絶対にしてはいけない。当たり前です。どこかの店と一緒にやるというのは何よりもそういう部分が大切です。店主だって看板を貸すというのは相当の覚悟がいるだろうし、メーカーはそれに報いねばならないのです。そしてお店との意思の疎通あるやりとりや尊敬を失わずにやりきった製品は尊いものに仕上がります。
お店からその仕事に対して「メーカーさんとの仕事はいいものだった」という話が色々な場所に伝わっていってメーカー側のブランドバリューは高まります。一番コアなお客はそういうことを誇らしく思い、他の人間に伝えるから。これはとても大きなパワーです、お店にとってもメーカーにとってもね。これこそメーカー側が得る価値であり、そこではメーカー、店、客、誰も損をしていないという構図があります。逆にお店とのコミュニケーションを蔑ろにした仕事はそれも同じようにいつの間にやらコンシューマーまで伝わって損をする。繰り返しますがこういうのは絶対に伝わるのです。
セブンイレブンの凄みはそこで、納得できるものをちゃんと作り上げていると感じます。例えば前回のフェアでデリーの田中社長をして「開発さんすごかった」と言わしめたのはセブンイレブンにとって大きな勝利でありその先の企画への道が大きくひらけたといえましょう。メーカーも努力をしてそういうものを手に入れたわけです。
お店の味を再現。もうそういうのはいいのではないかな。だって、同じものができるわけがないんです。そのお店の店主の味は店主と、そのお店で食事をするお客たちだけのものです。それを軽んじてはいけない。特定のお店をベンチマークにした時点でそれは本物ではなくてセカンドなのです。それは認識するべきだと思います。それと同時にお店にはない付加価値、いつでも食べられる、遠隔地でも離島でも、深夜、定休で店舗がやっていなくても食べられるというところで別の価値ができることも忘れちゃいけない。とはいえ看板あっての、が大前提です。
そういう前提を持って、このカレーはよくできたいいものだと感じました。スパイス使いなど、ちゃんとトマトのビーフジャワカレーの面影を感じることができます。同じものではまったくないのですが、お店で食べたことがある人間ならなるほどと思わされるところもあります。
とはいえ「再現性」ということになるとまったく届いていない。これは事実。同じものではないことは理解するべきだと思います。やはり煮込み料理は同内容と同製法でなければ絶対的に突破できないラインがあって。工場生産と効率とコスト、そういう現実的なものと全く背中合わせの要素で成立しています。だからこそお店が、トマトというお店が存続している意味があるのです。
わたしとしては「トマト」という名前を切り離していいカレーだと感じられました。
十分いいものですよ。十分だと思う。
追記
近所のセブンイレブンはオーナーさんが頑張ってらっしゃるのがいいんだよね。フェアの打ち出しが強くて、カレーフェアはいつもグイグイと盛り上げてくれています。現場の販売の皆さんあってのコンビニエンスストアなのだからね。フランチャイズの親はそれをもっと意識するべきだと思う。