久しぶりにすごいアウェイな空気がある場所に足を踏み入れた、そう感じました。
おしりがむずむずくるあの感覚。人によってはこわかったりする場所かもしれません。わたしは逆にわくわくするんですよ。
たとえば錦糸町のタイランドショップやアジアカレーハウス。たとえば新大久保のグリーンナスコ。もっと濃い目でいうと埼玉八潮のカラチの空とアルカラム。茨城のパミールマートやブルームーン。「濃い」場所というものはあるわけでして。それは、外国人コミュニティの核になっているようなレストラン。コミュニティのクラブハウスとして機能しているような場所。そういう場所はともかく面白いんです。
ここ、池袋駅、旧北口目の前に位置する、
「友誼食府(ユウギショクフ)」
もそんな場所の一つ。
トリップ感というとそっちに思われてしまうかもですが、それではなく、旅の方。これはもう旅そのものの体験でした。アジアの旅のスリルや好奇心がめりめりとふくれあがってくるあの感じ、あれが何気なく池袋にある。ものすごいことですよ。最近のこの地域は横浜中華街の洗練された感じとはまた違う、泥臭いリアリティ溢れる中華街ともいえる気がしています。
さて、薄暗い、いや、そうではないのにそう感じてしまうんだよ、そう書きたくなるような、知らなければちょっと入るのを躊躇うような雑居ビルの4階に「友誼食府(ユウギショクフ)」はあります。
「中国食材友誼商店」の付帯施設で、そこは中国スーパーマーケット(活魚が泳ぐデカ水槽もあるぞ!)のなかのちいさなフードコートという体で、今時のアジアのフードコートと同等の機能と空気感を持っていました。マーケットありき、なので規模は小さいですね。しかし、四川、北京、台湾などの屋台が5~6軒というところでありましょうか、軒を連ねています。各店からいろいろな地方料理を買って中央のテーブルで食べられるようになっています。
酒類やジュースなどはマーケットで買ってくれば良いというシステム。なかなかご機嫌な場所なんですよ。
「三宝粥店」と「匯豐齋」(えほうさい)はどうやら台湾料理らしいね。「大沪邨」(だうつん)は上海料理、四川料理の「老四川味香辣妹子」という4店。看板が出ていないお店もあります。あのお肉ばっかりのお店の看板はどこに出てるんだろうな。おかゆの店もフードコートの入り口、外にあります。それぞれ個性的な料理が出て来てわくわくするよ。串串香(チュアンチュアンシャン)という辛い中国おでん的な鍋をカウンター置いている店もあったなあ。
そしていろいろと容赦がないんです。当たり前に現地のそのまんまの匂いと味のものが出てきて驚かされますよ。
最たるものは豬血糕(豚の血をもち米と混ぜて固めたもの)ではないかな。
タイなどにも豚の血を固めて食べるスタイルはありまして。あちらはレバー風になっていたと記憶しています。
ゲーンキャオワーンの皿の横に乗せてくれました。レバーだと思って食べたなあ。
この豬血糕はクセもなく、ちょいといいおつまみ的にどんどん食べられます。
韮菜盒子は綺麗な縁の合わせ目の手作業に目を見張りつつ、これまたうまい。
いわゆるニラ饅頭ですね。
餃子ダレのようなものもお皿についてくるんですが、そのままでも中の具の味付けで食べられて、とてもおいしいです。
炒り卵が入るのが珍しくておいいしい、食べやすい。
香腸は定番ですね。ちょいと甘め仕上げの腸詰でどうにもこれは好き。
シンプルにぶつ切りそのままと言うのが屋台風で微笑ましいです。お店に行くとこれに白髪葱を乗せて辛い醬なんかを添えてこれの倍の値段になるわけですよ。
鶏の唐揚げはサイズ感が面白かったな。
一口サイズと言うよりももう少し小さいカットで長い串がつまむ用に人数分用意されててスナック感覚があるんです。
マリネの味がいかにも中華風でそれがいい。
骨付き肉の煮込みは、これは香港でも食べましたが大好物。
穏やかで控えめな味付けで肉の美味しさを前に出してくる一品。汁共々白米にかけてかき込みたくなる味です。
ああ、しろごはんほしい。
魯肉飯は細かく叩いた肉のほうのタイプ。
茹で卵がうずらになっているのが珍しいです。これもおいしかった。
やっぱり魯肉飯すきだなあ。
煎饼果子はなんといいましょうか、広島風お好み焼きとクレープの要素があるね。
麺をフィリングしてあるのだそう。いっしょにソーセージやレタスが入ります。
ワンハンドフードではありますが紙に包んではいないのでここでは手で持って食べるというわけにはいきません。
葱油拌面は上海風のまぜそば、いや、油そばか。
シンプルでいいんです。上に乗るのはタマネギのフライ。とにかくいろいろ食べました。
たしかこれは四川。じゃがいもと豚肉の煮込みでもう、実に、四川。辛くて、香りが良くて、食欲をそそってとてもいい。これはビールのお供ですねえ。とてもおいしいです。
しかしすごいな、こういう味が平然と出てくるのは。現地さながらとはこのことです。
日本人の世界観というものがあると思います。
他国と違い、柵の向こう側とか川向こうを眺めると違う世界が広がっている、などいう体験は我々にはできません。世界の人々よりも海の向こう側に対するエキゾティシズムはより強いのじゃないかな、と思っています。
現在、ウィルスの世界的蔓延でこの世の中は構造を変えました。海外旅行に気軽に、という気持ちにはなれず、物理的にも無理があったりするなか、せっかく面白くなってきたLCCの土台が崩れ始め、新型コロナ前から20年、改善されない日本の経済状態から若者の海外思考が昔より薄れてきていると感じます。
それよりもインターネットの存在が物理的距離を超えて情報をばらまき、海外なぞ行かずとも、と思い始める人も多い。
が、残念、一見万能なインターネットも彼の地の空気の匂いと温度、湿気、そして味ばかりは伝えることはできないのですよ。こんなことを言っている間にもアップデートされていく世界ですが、どうしても味覚と嗅覚、情緒につながる二つの感覚器官を満足させることは現地でなければできないわけです。それは変わっていません。
そして2020年。行かずとも海外が向こうからやってくる時代。
前述した錦糸町、新大久保、埼玉八潮、茨城坂東。高田馬場、江戸川西葛西、埼玉西川口、群馬太田、浜松、甲府、富山出水と枚挙に遑がありません。外国人コミュニティはあたりまえのものとなって日本のその場所にあるのです。
そういう場所に足を運ぶ面白さ。これは代え難いものがあります。