カレーですよ特別編(静岡 七夕工作舎)きょう、静岡で閉店する大事なお店のこと。

6月の半ばすぎ、静岡に出かけていきました。目的は「七夕工作舎」さん。美作さんとルワニさんに挨拶を差し上げたくて出かけて行ったんです。

このブログを公開する設定を7月7日にしました。今日が「七夕工作舎」の最後の1日、なのです。

 

 

七夕工作舎は本当に面白いお店で、教わることが多い場所でした。本当に強くインスピレーションをもらって勉強になったと強く記憶しています。わたしのスタイルでありますが、事前リサーチではなくいつもの通り偶然行きあたったのだったなあ。いつぞや静岡に個人取材で赴いた時に偶然出会ったお店です。

 

静岡、駿府城から少し歩いた細い路地にお店はあります。

小さく、洒落ていて、しかし凛とした空気がある弁当店。弁当店という名前がこれほどに合わない店も多くないでしょう。東京にすら存在しえないであろうスリランカ料理オンリー、かつ持ち帰りのみの専門店。そんな内容で、それを静岡でやってしまうという尖ったコンセプト、そして人気が出てしまったという奇跡のようなお店です。日本でも稀有なパッケージ、わたしが保証します。すごいんです。

日本人のきれいな女性とスリランカ人のお母さんが二人三脚で店を回しています。ほんの数回尋ねただけなんですけどね、いつ行っても帰り道に「あそこはマボロシだったんじゃないのかしら、本当は存在していないんじゃないのかな、わたしが夢を見ていたんじゃないだろうか」などいう想いが湧き上がり、自分を疑うこと度々でした。本当にそんな気分にさせられるんですよ。しかし「七夕工作舎」はそこにきちんと存在しており、そしてきょう、2021年の7月7日を最後になくなってしまうのです。

 

単純な閉店ではないんです。covid19とも関係ありません。はじめから確固としてあったお店の役割。それを果たしたという判断で終わりがやってきました。そういう話なんです。いつ、は決まっていなかったけれど終わりは決まっていたということなのです。理由はここではお伝えできません。美作さんがわたしに手紙をしたためてくださり、そこに書いてありました。それは美作さんとわたしだけの私信ですから。もちろん彼女から直接聞いた方は他にもいるはずです。ただもう公にするというものではなく、極プライベートなことだと受け取っています。そしてその理由から、七夕工作舎の復活、再オープンはないと考えています。それでいいと思います。

 

それはそれはいいお店でありました。

びっくりするほど小さな店で、間口なんて2メートルくらいじゃないかしら。おふたりが座るスペースさえありません。しかし屋台ではなくキッチンカーではなく、お店。固定の路面店。余計なものは一切ない潔さに目を見張ったものです。こういうやり方が、こういうビジネスが成立するのだと教えられ、大いに刺激をもらいました。だからわたしの友人で店をやっている数人に「あなたはあそこをみに行くべきだ」など伝えたりもしました。

そして美作さんご自身にきちんと美学があってやってらっしゃるからこそ、あの場所に七夕工作舎という店が存在し得たのだと、よくわかるのです。行ったことがない人にはなかなか伝わらないかもしれない。でも確固としてあるのです。

それはお店のことだけではないのです。料理も然り。本当に見事なパッケージングのアイディアで、あの小さなボックスの中にスリランカ料理の美しい世界観を見事に盛り付けで表現し、そしてきちんと美味しい。スリランカ料理を知ってる人ほどその驚きは大きいと思います。欠けた要素のかけらもないものすごいもので、ただもう圧倒さるばかりだった記憶が強く残っています。

 

そうか、と気がつくんですよ。わたしはいつも人に「レストランという場所、そこでの体験が一番大事で、なぜなら料理だけでは成立しない世界観を店というパッケージの中に料理込みで作り上げているから」と論じていました。あれはここ「七夕工作舎」では通用しない論理です。なぜならその世界観を持ち帰れるから。あの箱を開いた場所にその空気感を展開できてしまうのです。とんでもないことです、それ。不可能だとわたしが思っていたことを軽々と飛び越えて現実のものにしてしまっていました。それを思う度にまた「夢だったのではあるまいか」と自問自答するんです。

恥ずかしながら自分の投稿したSNSやブログの過去記事を読み返して記憶を手繰り、うっとりしてしまうんです。カレーだったりスリランカの郷土料理という素材をあんな形で昇華させて提供できるという可能性をぐいっと押し付けられたわたしの脳は、たちまちオーバーフローしてしまったことを面白く思い出します。こんな体験これから先何回であえるのだろうか。

 

多分、ですが。

 

デザイン、盛り付け、パッケージングなどのプロデュースは美作さん。料理はもちろんルワニさん。そしてルワニさんが七夕工作舎で美作さんから貰い受けたパッケージングや皿の上のコーディネートはルワニさんの心と腕とに引き継がれたはずです。ルワニさんがレストランをやるやらないではないんですよ。あの美しいものがちゃんと人の手の中に残った、そのことがとても大切なのだと思っています。

今回、ルワニさんの料理を食べるチャンスは手に入らなかった。予約で完売。でも、それでいいんです。遠くから来たのにかわいそう。そういうことは逆に言ってほしくないのです。そんなことを口になんてしてはいけない。そんなみっともないことを思うようなぼやけた心を持ってはいないのです、わたしは。

近くに住んでいて、ルワニさんの料理が好きでたまらなくて、一所懸命に応援していた常連のお客さんたち。彼らこそ最後の数週間を楽しみ、その記憶に焼き付けるべきだと思っています。

 

いつでも思うのです。わたしは一つの店に通い詰めることがなかなか困難です。仕事柄と言えるかもしれません。だから自ずきちんと通うお客さんに席を譲りたい。彼らあってのわたしの好きなお店の存続なんですよ。彼らがいなければお店は成り立たないんです。だから最後は、最後まで彼らに楽しんでほしい。たくさんの記憶をその舌に残して別れを惜しんでほしいんです。

 

さらば、わたしの七夕工作舎。わたしのお別れは6月のこの訪ねて行った日に終わりました。

きょうまできっと、ご近所さんたちが最後の半月を精一杯楽しんだのではないかな、と思っています。