なんだかんだでお邪魔せぬまま2年以上経ったでしょうか。まじめにきちんとコロナ禍での自店舗でのコントロールを考えて、イートインを止めたり、再開後もイートインはおひとりさま客のみという自主規制を敷いたり。
カレーですよ。
その取り組み、頭が下がる思いです。大変だと思います。今だって日々判断をしながらやってらっしゃる。
そういうのもあったし東京住まいだし、なのでわたしもここにくるのは自主規制をしていました。
恐る恐るではあったのですが、本当にここに行きたくて仕方がなかったよ。なぜなら、安房勝山の海辺、大六海岸にあるコロッケの店、
「3103 croquette」(サンイチゼロサンコロッケ)
には心の平穏があるから。
体調不良や外的要因からの耳の不調、仕事の減少などで精神をかなりやられていた期間が長く続いています。それもあって穏やかな時間を過ごせる場所を求めていました。ここにそれがあるのを知っていたんですが、長らく我慢しました。
東京から、というのはなかなか憚られるものがあるここ何年からです。山梨なんかはコンビニに伊那は来てくれるな、と県外からの人へのメッセージが貼ってあった時期があったものね。東京から、というのは他府県の人はとてもこわいんだと思う。実際というところも、それ以上にイメージというところも。
手探りするようの恐る恐るそっと扉を開けるとすごく喜んでくれました。肩から力が抜けていきます。
穏やかな午後遅くの海を窓から眺めたり、お店のことうださん夫妻とおしゃべりをしたり。そういう何事もない穏やかな時間をもらえるここ。気持ちがのびのびします。
元漁師小屋である昔は茅葺の屋根だった古民家リノベーションのこの店、最近では自分達の手でリノベーションを繰り返す最中に一時期、宿として営業していた痕跡など見つけたと聞きました。そりゃあ考古学だね。
さて、コロッケも、ですけど
「インド風カレープレート」
食べねば始まらないよ。
まずはプレートのはしに鎮座するコロッケ、花椒れんこん鶏メンチ。これがね、ころもバリンバリンでサイコーにおいしい。蓮根と鶏というたまらぬ組み合わせ。これ、ソースとかかけちゃうのはダメなやつ。もったいない。蓮根がほっくりだしパリパリだし素材の味とした味でそのまんまでベストな状態の味。ああ、とてもおいしい。
カレーは「房総野菜とインドのスパイスで作ったカレーライス/なすキーマ」。ことうださんがこそっと「ポークカレーも作ったんですけどりょうほうのせますね」って。うひひ、と変な声が出ちゃうくらいしあわせ。
ナスキーマ、これが只事ではない美味しさでした。カレーであってカレーではないシチュの如き、スープの如き、尊いもの。炒めでもなく煮込みでもなく(実際はどちらかだと思うけど)とても不思議。香りが大変良く、香りで食べさせられる感がありました。
ポークカレーはみんなが望む強くて美味しくてたまらんやつ。いつも「最近お肉ちょっと苦手、野菜が好き。野菜サイコー!」とか言ってるんだけど、こういういいやつ食べると途端に「柔らかポークサイコー」となるわけです。丁寧な玉ねぎ炒めからくる自然な甘さに陶然となるよこれ。
じゃがいものポリアル、これまた香りいい。葉っぱ、空芯菜か、炒めもやっぱり香りがいい。香りだなあ、と思わされます。気をつけないとほとけさんになっちゃいそうだ。(香食/こうじき、ですな)
ああ、サラダあるなあとかぼんやりしてるとそこにレンコンチップとレンティルのすっぱくてうんまいやつが乗っかっててこれだけで2打席連続出塁な感じ。凄すぎてはあ、とため息が出ます。
うまいものを替え難い環境で食べるというのはもうちょっと言葉にできない幸せ、贅沢だと思う。
少しことうださんとおしゃべりして、ちょっと嬉しくなって。でもわりとほっておいてもくれて、この間合いが本当に快適で。
その間にもポツリポツリとお客さんが入っては出てゆき。
わたしのポンコツになった耳でも波の音はどうやら聞こえるようで、聞こえていた頃の記憶と照らし合わせて脳がそれを補正して。
どうにも気持ちの良いリズムで世界が動いています、この場所においては。
世界、と言ったけど、この窓辺から見える景色が世界のすべてだったら、という意味。
ここから離れて東京に戻るとまた少し味気ないリズムに戻ります。この場所のリズムを持ち続けるのはなかなか難しい。
だからこそこの場所のリズムを取り戻すためにまたやってくるのです。