いやもうものすごい1日だった。サイコーに濃い午前中だったなあ。旧鹿島海軍航空隊基地。
戦争遺構という側面があるわけですが、それと同時に廃墟という昨今注目されるキーワードからの魅力もあってね。また昭和初期の西洋建築としての面白さなどもあるんですよね。だから時間がいくらあっても足りなかったよ。そんな場所にアート作品、写真作品とそのインスタレーションの展示もあって、うっかり震電のコックピットまで置いてある(映画「ゴジラ-1.0」撮影用プロップ)わけですよ。これは困った。時間が足りない。
「廃墟景観シンポジウム Vol.3 ~戦争遺構が今、語るもの~」にお邪魔するためにやってきたんですが、ここをみないでシンポジウムに参加というのはちょっとないよね。それで、午後からのシンポジウムだったので午前中にやってきたんだけど。よく見学をせねば、と歩き回ったんだけど。時間、足りないわ。
運良く10時からのボランティアガイドツアーにも参加することができました。
本庁舎の通常は入れない2階や1階右エリアなどの見学ができたのはとてもありがたかったなあ。敷地は広く、建物が点在しており歩き回って少し体力を使う感じがね、なかなか爽快でよいのだよ。広い場所って気分がいいよね。
まずはクルマを駐車場に停めたんですが、その駐車場の敷地に立つものがもうすでに遺構なのであるよ。「自動車車庫」。まさに本当に戦中の車両庫であり、その屋根の脇にクルマを停めるわけです。ちょっと感慨深いのですよ。映画「ゴジラ-1.0」で震電の格納庫となっていた建物、それがここ。周りを囲う塀も当時のものそのままで、こんなにきちんと残っているものはもうほとんどないそう。
到着しただけでこれだもんね。ものすごく、濃い。
中にはカフェと土産物屋、この地にゆかりあるグッズなど置いてあって、休憩やちょっとした買い物ができる場所になっています。(鹿島海軍航空隊跡の一般公開日の毎週土日にのみ営業)こういうのあるのが気が利いてるなあ、と思いました。トイレもきちんとしたものが用意されているのでご心配なく、です。
今回「自動車車庫」壁際には実写映画「映像研には手を出すな!」の大きなバナーが壁に貼ってありました。ニヤけちゃうねこりゃ。そのバナー前には映画に出てきたロボットや航空機、小型タンクの砲塔などプロップが展示されていて、またも思わずウフフ、なのであるよ。
道路を挟んで自動車車庫向かい側にある本庁舎はクラシックな佇まい。
縦長の窓と天井の高い室内。重厚な総木製の扉や床、天井を走る太い梁、腰のあたりまで張られた板張りの壁など趣深いものです。
そんな場所の各部屋でいろいろなアート展示が催され、かたや何も展示のない照明の消えた部屋はこれでもかというほどの闇で、まさに鼻をつままれても、という漆黒。その奥にうっすらと板を打ち付けられた窓枠などが見えて廃墟としての魅力も強くあるのが素晴らしい。バランスってもんがあるねえ。
そして考えれば当たり前なのですが、航空基地ということがあり敷地が広いわけです。しかしわたしが考えていた「航空基地だから広い」というイメージとは違うものだったのよ。ここ「鹿島海軍航空隊跡」には滑走路がないんです。航空基地で滑走路がないってなんだ、と思われるでありましょう。わたしも同じく思ったんですが、実はここ、水上艇の訓練基地でありました。いわゆる飛行艇ね。
日本海軍の有名な戦艦「大和」のことを思い出すとなるほどなのです。プラモデルを作ったことのある人は覚えてらっしゃるのではないかしら。艦尾にちいさなカタパルトがあってその梁のうえに零式水上偵察機や零式観測機を接着固定した覚え、ないですか?わたしにはそんな記憶が残ってるぞ。
宇宙戦艦の方ではあそこに水上機ではなくコスモゼロが搭載されていたよね。あれを(コスモゼロではない。零式水上機2機種である)飛ばす訓練がここで行われていたというわけです。
水上機であるからして滑走路からの離陸ではなく、水面からの離水訓練となり、滑走路は霞ヶ浦、ということなのです。そうか、なるほどお。水上機の訓練施設跡は霞ヶ浦の湖岸にある「鹿島海軍航空隊スリップ跡」という名前で残っていました。水上機を水に浮かべるためのスロープですね。カタパルトは当時の上物はなくなっていて、基礎だけが残されていました。
鹿島海軍航空隊汽缶場跡は圧倒的な存在感。遠くから見ると高い煙突が立っており、その麓に遠くから見てもよくわかる、錆で出来ているような印象の建物が見えます。いわゆるボイラーが格納された建屋で基地のエネルギーを担う場所。
自力発電所跡もすごいものだったねえ。ザ・廃墟だよこれは。わたしは廃墟マニアなど名乗れるような知識も素養もないんですが、侘しさや寂しさを感じるのが廃墟というものの本筋、みたいなものは掴んでいると思っています。それがここにはありました。
いみじくも、この日の午後の「廃墟景観シンポジウム Vol.3 ~戦争遺構が今、語るもの~」で漫画「映像研には手を出すな!」の大童澄瞳先生が「廃墟と侘び寂び」というキーワードを使ってらっしゃって脳みそに電気が走ったぞ。同じ感覚を持ってらっしゃったのが楽しかったんです。ああうれしい。
とにかくちょっとあっぷあっぷになってしまうくらい、溺れそうになるくらい魅力的な「戦争遺構であり廃墟でもあり昭和初期の建築物としての価値もある」というたまらんひとにはもう本当にたまらん場所でした。
良い形で保存されるというきっかけが去年の夏に決着しているんですが、こういうものは事例数多でなんですけど経年とともにその保存によって形骸化してしまう可能性もあり、その過程の中で本来の意味での廃墟の侘び寂びをなくしてしまいがちだと感じてます。どうかその微かな息吹がある以下の状態を見にいってほしいと切に願います。