すごく久しぶりに日清の「カップヌードル カレー」を食べたんです。おいしかった。
カレーですよ。
正確には小さい方だから、「カップヌードル カレー ミニ」が正解。なんだかあまりに当たり前にずっと存在するものだがら逆に後回しにしちゃってた感じ。味も知ってるしね。久しぶりになりました。
なんというか、尊いものだなあ、と思うのですよ。
味がずっと変わらないこと。業界スタンダードであること。それとその意味。だからこそ選ぶ、選ばれるということ。それらが「日清のカップヌードルであること」という一言に凝縮される感があるのです。そこからなんだか「尊い」という言葉が浮かんでくるんだよな。
想像がしやすいのですよ。
たとえばこの日は精進湖にいました。精進湖はいまでこそ富士五湖とまとめられて、観光地であったりキャンプ場があったりという気軽な場所。道も整備されており行きづらいところじゃないでしょう。
しかし。地図をみれば想像が大きく広がるわけです。「樹海の中の湖」なのです。とにかく見渡す限り木と動物だけのエリアでよくもまあ、こんな広大な森林の海の中にある湖まで人が足を運び、道を作ったもんだ、と感慨を覚えます。
そんな想像のなかで、精進湖のほとりにクルマを寄せて「カップヌードル カレー」を食べる想像をするわけです。くっきりとピントが合う想像ができるんだよ。なんというのか、きっと長く作っていて味が変わっていなくて、だから想像をしやすくて、それに自分の見知った場所を思い描くと解像感が上がるのだと思う。で、やってみたら想像とピッタリ同じ。
同じものを変えずに長く作り続けるというのはそういうところに辿り着くんだと思う。スーパーカブとかね。
水辺で地面に座って食べた「カップヌードル カレー ミニ」はことのほかおいしく感じられました。昨日の夜に想像した通りの体験だったよ。