カレーですよ5439(初台 初台スパイス食堂 和魂印才 たんどーる)塚本シェフ最後の、自分は働く自分バースデイ。

久しぶりに塚本シェフの背中を見て思ったことがあるのです。飲食の仕事を続ける人は本当に苦労が多い、ということ。振り返って自分のからだのこともね、考えます。

 

 

カレーですよ。

 

 

そんなこともあって、自分が少しづつからだのいろんなところが大変になってくるので同世代で頑張る男を見ると胸が疼くのです。歯を食いしばっているのです、彼らも、自分も。

 

この夜、塚本シェフに誘われたんです。「オレの誕生パーティの会なんだけど、自分で作る、もてなすスタイルのこれはもう今年で最後にしようと思う。だからおいでよ」とね。それがあろうがなからうが、いくわけですが、その決心は強く共感ができます。

塚本シェフもぼちぼち60近いはず。時代の価値観やテクノロジーによって老いの基準は後ろ倒しになっている現在ですが、しかしやっぱり60は未だ境目であり、文章書きとしては老境という言葉を使わざるを得ないところがあるんです。わたしもそういう歳だから実感するのです。

 

歳を経たシェフたちは、長年の厨房仕事で伸びなくなった背筋を伸ばし、動かない首を無理やり回し、頭と筋肉に詰め込まれた経験を目一杯使って厨房に立っています。それがすごくカッコいい。それで、だからこそ、ちゃんと仕事のボリュームコントロールをしてカラダと相談しながら長く続けなければいけないし、そうしないと責任というものが取れなくなると思います。どんな責任なのか、それはお客たちの期待への責任。

しかしそれは往々にしてエゴイスティックなものであり、それだけに振り回されてはいけないのです。絶対にいけない。何よりも大事なのは自分のからだと自分を心配してくれる家族のこと。顔を知るシェフが死んでもいいから最後の一皿を俺によこせ、などいうお客は客ではないのです。そんな人間は人に作ってくれたものなど食べる資格はありません。

この日の

 

「初台スパイス食堂 和魂印才 たんどーる」

 

の料理も個別に説明が気をする必要もないくらい、塚本節なわけです。入れるべき場所にきちんと強さ、アクセントをグッと入れながら、全体のトーンはおだやかでね。スパイスたちは変に暴れず、従順に塚本シェフの意思に従って香りを立て、味を支え、引っ込むところでは後ろに引くんです。何度食べても素晴らしさに思い入るね。

 

 

前菜の炒め白菜なんてさ、例のスパゲッティの味に仕上げてあったりしていろいろと楽しいんです。

こんな感じでした。

 

前菜

炒め白菜

キャロットラペ

赤子の煮びたし

パテ・ド・カバブ

和ッサムスープ

 

タンドール料理

青じそチースナン

酒粕入り大山鶏のタンドリーチキン

ラムのタンドール焼き

 

カレー

鶏ひき肉のとナンコツのキーマカレー

ラムとゴボウの黒ゴマココナッツカレー

根菜カレー(大根・人参・運根・ゴボウ・小豆入り)

五種の豆と野菜のカレー

ナン&雑穀ご飯

 

おなかも気持ちもぱちんぱちんになるまで食べさせてもらいました。耳の都合でちょいと早めに中座、残念だった、申し訳なかった。でもすごく楽しませてくれた。

となりに竹中くんが座ってたりしたんだけどやっっぱりおしゃべりあんまりできなかったなあ。人が多い席では耳の調子でなかなか難しい。

自分の厨房で、進むも戻るも、進退決めるは自分のみ。自分のからだの声を聞けるのは自分だけなのです。簡単なことではないよ、続けるってのは。

だからいつでもそういうことを考えながら必死にもがくシェフたちが気になるし、そういう悩みを抱えながら今日も厨房に立つ彼らは、みんなカッコいいのです。