クルマはわたしにとって大変にロマンチックなものなのです。ロマンチックといってもいろいろな意味があるよね。
さっさと結論を言うとね、わたしの場合、クルマってやつはいつ何時でもどんな場所へでも行けるという可能性をくれるもの。そこにロマンチックなものを感じるのです。だからレンタカーやシェアではまかないきれないの。いつ何時でも、だからね。他にもあるよ。
例えば、クルマの中で寝るためにいつでも厚手の快適なマットを積んでいるんですが、正直な話し、そんなチャンスはそう多くは無いんです。しかしそれでも「可能性」というものを「楽しい夢のようなもの」として捉え、いつでもクルマで寝られるように準備をしてあるんです。
風呂道具を積むのも、そんなロマンチックな部分からでは、と思っています。出かけた先の見知らぬ町で、ふと銭湯に入りたくなってそんな時に役に立つような小さなバックを1つ作ってあります。それを必ずトランクの隅に置いておくんです。
マットが1枚と風呂道具の入ったバッグ。後はポケットに少しのお金があれば、どこまでも走って、どこでも眠って、どこでも風呂に入って、そういう旅を続けられます。あくまで可能性の話しですが、それが24時間365日、いつでも叶うのが、自分でクルマを所有し続ける、と言うこと。
日々の中でたくさんの仕事や雑事があるでしょ。そういう中で、可能性として、いつでも遠くに行けて、出かけたら帰って来なくていい。そういうロマンチックな可能性を可視化、現実化するためのマットと風呂道具なのです。これが積んである自分のクルマだから、わたしはいつも自由なのだ、とそう思えます。なにか自信のようなものの根っこであるかもしれないね。
もしかすると、わたしにとってクルマというものは「自由の象徴」なのかもしれない。それをもっと純粋にしたい思いがあるのだと思うのです。