浜松のインド料理の持ち帰り専門店「アンミッカル」、これが大した実力のあるお店なんですが、其れは料理だけの話ではないのです。そちらの方がむしろ大事。
カレーですよ。
料理で言えば「ここまで踏み込むか?!」というところまで相手のことを思いやった調理の根っこがみえます。医療や介護などの現場を知る菅沼店主ならではのアプローチで、お弁当という形に収めたインド料理を提供し続けてくれています。
地域貢献や留学生の一助となるべく考え抜かれたビジネスモデルには大いに共感できるものがあるんです。社会的な意義があると思うし、現代では残念なことに薄らいでしまった人とのつながりのようなものを土台に組み立てられています。
「アンミッカル」
の冷凍カレーは本来、遠方に住むわたしのようなもののための食事ではないんです。あくまで地域の人々の利便性と食材ロスをコントロールするためにある料理。そこに大変な価値があるのです。
ただ、その思いと品質やこだわりを知ると、どうにかして入手できないか、とあれこれ考えてしまうんだよね。圧倒されるんです。ほんとうはこれが食べたい!ではなくてこういう考え方の食べ物が自分の地域にもあったらいいな、が真っ当な考え方なんだけど、この味に引っ張られて菅沼店主の味そのものが欲しくなるというね。
この日はカレー、2種を合い盛りにしました。インド料理のターリーやミールスなどの外食のスタイルや、ホームスタイルです。いくつかの煮込み料理やおかずが一緒の皿に盛られて出てくるスタイルです。これ、楽しいからやった方がいいよ。
それと今日はご飯も特別。パックごはんのジャスミンライスを使うことにしました。タイの長粒米です。これはヤマモリブランドのパックごはん。ジャスミンライスがレンジアップでできてしまう。とにかくすごい時代になったなあと痛感します。むかしはジャスミンライスとかバスマティライスを使ってるだけでそのレストランは一目置かれてましたからね。10年ひと昔、です。
さて、食べましょう。
チキンペッパーフライ
チキンがかなりたくさん入るんですが、そのチキンの食感が大変いい。意味なく柔らかくする料理はわたしは苦手なんですよ。このチキンはちゃんとかみごたえがあって、かむと当たり前のようにちゃんと旨味が口に広がって、タマネギからの甘味がそれを加速してゆきます。ああ、これたまらないぞ。とはいえチキンだから過剰な旨味とか強すぎる個性でなく穏やかなのもまたいいんです。
ソースはタマネギと脂で口当たり柔らかく、そこからググッと辛さがやってきます。黒い粒々の胡椒が見えて、それが最終けっこうな辛さまで引っ張ってくれるようですね。その過程がおもしろくてどんどん食べ進んでしまいます。楽しい、楽しいなあ。おいしいんですけど楽しいも一緒についてきます。
サグチキン
うーん!大変旨い。こちらもまたよい具合のチキンが幸せをくれますよ。心地よく噛んでいるからこそちゃんとボリュームや旨みを感じられるというね。食べてが当たり前のことを当たり前にやって食べて、それで美味しいのはいいよねえ。ちゃんと噛めよという話です。硬いんじゃないよ。噛むから旨味が出るということ。ほうれん草のソースがですね、実に滋味深い。変な言い方なんですがちゃんと菜っぱの風味があるんだよ。サーグという野菜煮込みは食べ手から言わせてもらうとなかなか難しいのです。
ペーストにして風味もへったくれもないほど調味をしてしまうものもあるんだよね。それが同じ名前で呼ばれてしまうので迷うんです。色付けだと言われればそういうこともあるかもしれないけど、それじゃあつまらない。
このサーグ、舌に当たる柔らかな粒々感はチャンクからペーストになる中程にある感じでとてもよいんですよ。ちょっとさますとよくわかるんですが、ほうれん草の甘みを見事に引き出してあるんです。これはいいもの、素晴らしいな。
30種!もあるアンミッカルの冷凍カレーですが、買う時には種類が選べないんです。え!?いったいそれはどういうこと?!とおもうでしょう。でもこのお店、アンミッカルの成り立ちを考えればそんな疑問は氷解するはずです。冷凍製品のための製造調理ではないからです。
根っこに食品廃棄や過剰な流通、色々な社会的問題が店主の頭の中にあります。その時にある食材や季節のものを使い、目の前にあるそんな食材たちに合わせたベストな調理を施す。無理をしてメニューのためにがんじがらめになって全部作るというナンセンスなことをしないのです。そんなのまったくナンセンスなのです。なんという自然で美しい考え方だろうなあ。
それはインド周辺国料理、ひいては日本の田舎のおばあちゃんのスタンスにも通ずる考え方でしょう。
日本のチェーンレストランやコンビニエンスストアで提供される食べ物。縦に長いニッポンの、たとえば稚内のお店と宜野湾のお店、どちらも同じ季節に同じ味を同じ料金で出す、このことにどれだけのトラフィックが使われ、どれだけの負担が環境などにかかるのでしょうか。そういうことなのだと思います。ひどく当たり前の話なのです。普通に考えればわかります。
季節のもの、今あるもの、その場所でできる一番無駄がなくて美味しい料理。まったくなんという美しい考え方なんだろうか。
受け手も愛と知識を持って対峙するべき料理だと思います。