カレーですよ4782(セブンイレブン スープカレー)よく出来のコンビニスープカレー。

 

クルマの中で半日お留守番、みたいなことになったんですよ。結構な待ちの時間で、それだけあればちょいとクルマ走らせてカレー、と行きたいところだったんですが、いかんせん現場からは離れられないという状況。さて困った。

 

 

カレーですよ。

 

 

クルマが一種の控室的な状態にあり、そこを出ることは許されないという縛りなんです。が、しかし。

目の前にはセブンイレブン発見だよ。

これ幸いとほんのちょっとだけクルマを空けて買い物に出ました。買ってきたのは当然カレー。控えが終わったらカレーですよ。なんだけどねー。リーさんも出番はカレーなのに現場のロケ弁で出てきたオーベルジーヌうまそうに完食してたしな(笑)

で、セブンイレブンの、

「スパイス香るスープカリー赤米入り」

 

というやつにしました。

他にバターチキンカレーや昔風の真っ黄色なハーフサイズカレーなんかがチルドコーナーに展開していました。現在カレーでのコラボ関係はないみたい。近々エスニックフェア的なものが開催されるらしいよ。そういうのを見て春が近いな、と感じます。

さて、「スパイス香るスープカリー赤米入り」はどんなものか。

温めてもらったので確認を怠ったんですが、例によってセブンイレブンお得意の輸送や保管に便利なゼラチン的に固まったスープなのではないかな。当然温め終わっているので粘度はまったくなく、さらさらです。容器が二重になっていて上段にはごはんと具材、下段にスープが入る構成。無駄がありません。

しかしこの手のパッケージは本当に良くできたものが多いなあ。お金かかってるよなあ。

 

さてと。

スープカレーはご飯をスープに浸して食べるというお作法が未だ一部あるようなんですが、あれはスープをおかずにする「スープ定食」的やり方だよね。わたしはスープカレーのことをスープ類ではなくカレーの仲間だと思っています。いや、思いたい。だからごはんにぶっかけを好むわけですよ。

今日の場合、容器の都合でごはんにぶっかけというスタイルは無理なのでご飯と具材共々スープに全部ドボンと投入。これを食べる人たちは容器の構造上、皆こうするであろうねえ。

さあカレーだよ。

素揚げナスはしんなりで風味良し。カボチャはちょいと角が立つ感じでかため仕上げ。これは好みの問題なのでよしとします。浸しておけばゆるみもするだろうしね。キャベツ、芯のところがパリパリと食感良し。しんなり部分も甘みあっていいね。レンコンはパリッとではなくほくっとさせてあって、こちらは食感的に及第点というところかしら。しんなりが悪いのではなくてパリッとからしんなりまでのグラデーションの中でちょっとここで止めるのはどうかなあ?と感じたから。まあ大したことでは無いしこれも好みの問題かな。

スープカレーフロムサッポロの魂、ザンギは、これ上出来です。いろいろ言えばいろいろいえるのだけど、いや、これでいいだろうという収まりどころ。ちゃんとこのスープカレーに合っているので、それでいいのです。おいしいとおもう。

そして肝心のカレースープがかなりよくできているんだよな。ターメリックとクミンが前に出るちょっと土くさいようなあの感じ。うまいなあ。うまくあの感じを出せているなあ。具材や白メシ(実は少し色のついた雑穀米で気が利いた感じ)に合わせていくとその大地の香りが穏やかに収束していきます。野菜の力かもしれないね。

 

相変わらずセブンイレブンの食べ物はよくできており、納得がいきます。そう思いつつ同時に思うのがよく出来すぎているゆえに色々な段階を飛ばしてしまう危険なものとも感じています。

なんのことかというと、かなりおいしくできているので「これで良いか」となっちゃうでしょ。そうするとどうなるか。陶器の器をテーブルにセッティングてもらってきちんと食べる外食のことを忘れてしまうんじゃないかっていうこと。

コンビニの製品には「おいしい」はあるけれど「人にもてなしてもらう」や本当の意味での「コミュニケーション」がありません。そういうものは忘れては絶対にいけないもので、そういうなかで文化が育まれたりコミュニケーションが生まれたり、そこからビジネスにつながったり生涯の友を得たりします。それが食事だと思うのです。コミュニケーションという大切な要素があることを忘れてはいけないのです。

 

現代、味はいい、うまいことは正義、という世の中です。ただ、食というのは文化という部分も孕む。外食での体験あってのコンビニメシではないかと考えています。いつも、そう思うんです。

それではVRだ、メタバースだとかしましいけど、まだみんなゴーグルつけたままスプーンや箸をうまく口に持って行けないしね(笑)