洒落ではなくて、某スーパーマーケットの本棚に近づきつつある状態のわたしのデスクの本棚なんですけどね。
単純な数量ではなくて、あれを越えるストーリーを持つカレーばかりが並ぶんだよ。むしろカレーランドさんに近いとおもいます。
カレーですよ。
とにかくここ2年、レトルトカレーがわたしのスタジオや自宅に送られてくる頻度が飛躍的に増えています。うん、わかる。内食シフトだもんねえ。
基本外食応援のわたしですが、食に関している困ってらっしゃるジャンルの方なら誰でも応援します。もちろんです。
それでね、そんなふうにいつでも破裂寸前になってるあたしのカレー本棚。なのに、であるのに、そうじゃないやつ、送られてくるやつじゃなくて、自分でストック自発的にしとかないとダメだろと、というアイテムがあるんですよね。自分の部屋に在庫がないと心底困るカレー。
それが、通称「ヒロスケチェッターヒン」。
わたしが欲する辛さと旨さのバランスの拮抗が一番ギリギリまで攻めてあるレトルトカレーなんですよ。辛いんです。辛いけどちゃんとおいしく食べられる激辛の、一番理想的な着地点を見出しているなあ、といつも感心するのがのがこれ、わたしが愛して止まない、
「チェッターヒン」
なんです。
毎度同じことを思うんですが、自宅でこの味、袋から出てきたのにこの味という驚きと幸せはなかなか代えがたいものがあるなあ。この小さな袋からあのお味の料理が出て来ちゃうという、にわかには信じられない事実。何度も食べていて知っているはずなのにいちいち驚くんだよ。
そしてその旨味。いつも思うのが味噌の感覚が舌に残る気がすること。旨味成分的なものがそう思わせるのかねえ。もちろん味噌など一切入らないわけですが、なぜか不思議と和風の旨味も感じてしまうところがあると思っています。
ミャンマーの激辛トマト煮込みとも言えるこれ。皿にあけると粘度は高く、カレー、汁、というよりも煮込み料理、おかずの類と考えるのがより近いかなと思います。とはいえ日本人の視点からだとやはりアジアのカレーの一種と分類する人も多いはずの味でしょう。
非常にうまくて、非常に辛いです。いつでも頭の毛穴が一斉に開いて汗を吹きちらすんだよ。でも、やはり旨い。だから食べてしまう。で、また汗をかく。そういうサイクルでいつも食べ切りまでほとんど記憶がなくなってしまうすごいやつです。快感に身を浸す感じとでも言いましょうか。とても旨いのでとても辛いのにやめられないんです。
ヒロスケさんを個人的に知っているわけですが、彼の腹の中には「沸り(たぎり)」のようなものがあるとつも感じます。ミャンマーという国に対する煮え滾るようなその想い、以前からあったそれが、今回の軍政権の非道な狼藉によって沸点を越え、彼を行動に走らせている。そういうふうにみえます。
このレトルトの「チェッターヒン」を食べるたびにミャンマーに興味が湧いて、今何が起こっているかが気になってきます。色々な国の郷土料理はその国のことに興味が出て知りたくなるきっかけをくれます。だからカレーという名前で括って何も考えずに食べてしまうところに危機感を感じているんです。
彼の国の郷土料理というところからの興味、大事なことだと思うんだよ。
他の国の話、じゃなくてさ、今食べているうまいもんの故郷で、大変なことが起こってるんだよ。しかもそれが1年続いてしまっている。ウクライナも大変なことになっていますが、ミャンマーでは同じようなことが一年も続いています。
それだけは気にかけておいてくれるとありがたいです。