【コラム】夏の旅のメモ 後編

今年の夏は楽しかった。ちょっといつもより遠出の旅に出られたから。

SNSでガリガリと書きましたがSNSだと流れて行って検索しても出て来ずに見えなくなっちゃうからね。そのままをブログに載せておきましょう。SNSには出さなかった写真も入れていこうかな。少し加筆や修正もするかな。コラムで前編を書きました。↓

【コラム】夏の旅のメモ 前編

これは、後編。

 

【旅のメモ】伊勢醤油本舗。

さて、今回の旅の大きな目的地2ヶ所のもう一つ。気がつけばどちらの目的地も自分の人生的なところに関わるような人たちを訪ねる旅になったか、と感じるところがある。このセリフはまだ早いと思いながらも予感は強い。

さて、伊勢。そしてそこから桑名という行程。まずは伊勢神宮のお膝元にあるおかげ横丁の「伊勢醤油本舗」へ。代表の上野毛戸社長が待っていてくださる。「伊勢醤油本舗」の店舗を自分の目で見てみたいと長く思っていたが、今回それが叶ったのだ。しかも伊勢醤油本舗代表ご本人の直接アテンド付きである。なんということか。

上野毛戸社長ともずいぶん長い付き合いになった。そのわりにはなかなか長話しをするチャンスもないままきてしまった。重責を担うお立場になったいま、物見遊山のわたしに2日間も付き合ってくださるのだ。大変なことである。贅沢もいいところだがご提案を受けたからには思いきり甘えようと腹を決める。

「伊勢醤油本舗」の醤油のスタイルはいいな、と思っている。

いつぞや聞いた昔話し。山ひとつ越えるのも大変で、物流というのが人力や馬などに頼るものだった時代。農水産物と同様、醤油もその土地の原材料のみ使わざるを得ない。とくに酒や醤油、味噌などの醸造を経て製品となるものは菌、温度等の土地、環境に紐づく複雑な要素もあって。だからこそその土地独特の食文化が醸成されるという面白さがある。それを前提に現代の各地食品メーカーや調味料メーカーを追っていくと醸造蔵だったルーツが見えたりする。

「伊勢醤油本舗」はそういう根源的なものに立ち返って、三重の地醤油のプライドを以て史実に則り、三重県産大豆、三重県産小麦を使用。三重の空気と水、素材を使った醤油を作っている。古くから三重の地に根付く醤油を今の技術で再現することを旨としているのだ。これだけでもう十分に面白い。伊勢神宮への奉納の根拠として強い背骨を感じさせる。

お店、良かった。

まず「おかげ横丁」がとてもよかった。古き良き伊勢神宮のお膝元の賑わいを上手に演出してあり昔の風情を強くだしており、それがあまり違和感ない。和風の括りででまとめられた土産物店や飲食店、雑貨店など。土地の名店、真珠のミキモトや赤福などもあり楽しい時間が過ごせる。

店、楽しかった。ただお醤油屋さんではなかった。伊勢醤油の各種ラインナップがなかなか面白い。醤油のバリエーションだけでなくうどんや焼き菓子、ギフトセットや調味料などある。

そういうものに興味ないよなあ、の人もちょいと待った。ソフトクリームはいかがだろう。お醤油の味のソフトクリーム。これが美味しかった。どんなものかな、となめてみるとああ、これはなるほど。キャラメルのような味わいになる。そうかそうか、そうなるか。なんか納得がいく、こりゃあおいしい。

そしてこれもこの店の名物の伊勢醤油たれで焼く「伊勢焼きうどん」。鉄板調理を見学できる。これがなかなかに豪快な調理で、鉄板に醤油ダレをバッと流して湯気上がるその真ん中めがけて伊勢うどんを投げ込むのだ。みるみるうちに香ばしい香りを纏いお醤油の色に染まるうどん。これが大変に美味しいのだ。トッピングのアオサも香りよく、鰹節も言わずもがなでたまらない。この香りがたちこめる店頭、客が足を止め、行列を作る。伊勢焼きうどん、オススメである。

お世話になった今治のおうちに伊勢醤油本舗からお醤油も手配できてほっと一息。内山店長が上野毛戸社長以上にお気遣いをくださって大変に光栄。楽しいひと時が過ごせた。

 

【旅のメモ】赤福本店。

上野毛戸社長のご案内で赤福の茶店にもうかがった。「赤福本店」である。赤福が大好きなもので本店行脚ができたのは大変に嬉しい。お伊勢さんの開門と同じく、早朝5時からやっているそうだ。

五十鈴川を臨む東側、川に面して大きく開いた縁側となっおり川風が吹き抜け心地よい。しばし腰掛けて出来立て(!)の赤福を食べながらお茶を飲む幸せと言ったら例えようがない。そう、出来立てなのだ。

工房の中で可愛らしいお嬢さんが二人、炉に向かい合ってその底の餅から団子をひねり、あんこを乗せていく。あの3筋のあれだ。あの筋は五十鈴川の皮ものさざなみを表現したものだそうで、なんともはやたおやかさを感じる由来。それを女性の手で生み出している。情緒というものを感じずにおれない。

「伊勢醤油本舗」で伊勢焼きうどんと醤油ソフトクリームを食べたというのにぺろり、であった。もうひと皿食べたい(ひと皿に2つ入っている)。至福である。

 

【旅のメモ】ヴィソン。

「VISON/ヴィソン」とはなんぞや。オープンの時に目にしていたがもう一つ実態がわからないままいた。リゾート施設で尚且つ食にフォーカスが当たっているという印象だった。今回ご縁あってついに現地に行くことに。

三重県多気町に山を開いて造成・建設された「日本最大級の商業リゾート施設」、2021年7月にオープン。三重という土地にこだわりそれをキーとして自然、文化、食などのテーマで集めた店やホテルなどを広い敷地に点在させてある。

商業施設であるが大型ショッピングモール的なアーケードでの集約というものには一切近づけず、広い敷地に緑を配してその間に別棟、戸建という感じでショップやレストランが配される。マルシェ、レストラン、ミュージアム、アトリエなどトータル約70店舗ほどで構成。「山の麓にリゾート施設が広がっているイメージ」という記載があった。

VISONは「美村(ビソン)」から名前のインスピレーションがきているという。そこに「伊勢醤油本舗」も入っている。

特筆は「AT CHEF MUSEUM」。フーディの間でも話題になった有名シェフの監修した料理をカジュアルに楽しめるオープンレストラン。

 

ミシュラン星付きシェフ7名を含む全国の有名料理人18名が監修した料理が提供されている。賛否両論の笠原シェフな名前などもみられておっと思わせる。モンサンクレール辻口シェフやル・スプートニクの髙橋シェフの名も。

ドーム型の室内はフードコート的に使えるが安っぽさな上手に払拭してあり興味深い。チケット制で3枚綴り2000円とリーズナブル。ペーパーウェアの食器を使用。本気のレストランではなく、三重の食材を使った各シェフのこういう場所でのこういう値段での知恵比べ的なお楽しみがある。これはなかなか面白い。三重のガストロノミーをテーマとした場所。

では、目的地「伊勢醤油本舗」へ。

天井の高い一棟丸ごと使いの蔵をモチーフとした贅沢な空間。美しく、興味深い場所であった。店、というよりも。いや、もちろん店なのだがちょっと博物館テイストというか、工場見学風の味付けがある。

壁面のプロジェクターによるスライド投影。美しい壁画で表される伊勢神宮を目指してくる人々を楽しませた味、その元になる醤油。嫌味なく色々な情報が蓄積され腹に落ちてゆく。圧巻は工場での醤油醸造をイメージしたからくり「Rolling Soybeans」。大豆と小麦の開花収穫から始まって醤油ができるまでの工程を工場や畑のミニチュアではなく、カラクリ細工に置き換えての展示、説明。いやはや、アートである。そのセンスに驚かされた。

中央にはカウンターとセンターキッチンが用意され、飲み物や伊勢焼きうどん、スイーツなどがその場で楽しめる(現在休止中)。

販売品も面白い。当然ながらの醤油の類。その中でも目を引くのがフレイバリー醤油とも言えるもの。「あおさ醤油」はかなりおもしろい。試食コーナーがあって試してみたが、磯の香りと醤油というのはやはり相性よく、例えばこれで焼きおにぎりなど作ったら最高なのではないか。他にも変わり醤油として「バター醤油」などいうのもあって、調味料マニアとしては底なし沼のような楽しさを感じる。

実はカレーも少し置いてある。薬膳料理研究家のパン・ウェイ先生が監修を務める「いのちのたね」シリーズ。お粥とスープ、カレーが販売されている。薬食同源、食養生。薬膳がテーマのカレーと粥、スープのラインナップだ。ヤマモリの名古屋丼シリーズも置いてある。タイ料理ではないヤマモリの側面。いい企画だなあ、と思っているやつだ。ここにも「カレー丼」なんてのがある。終わり名古屋の地元愛、である。

セレクトショップ的に他社製のいい品のピックアップもあったり、器なども置いてあったり(茶碗を買った)なかなかにおもしろい。

ここはちょっと半日程度では見きれない。なかなかに尖った施設でその後の展開もありようなのでまた再訪せねば。高速道路への出入りが直接できるのも利便性が高い。

 

【旅のメモ】ヤマモリ本社、会長室。

 

さて、伊勢。そしてそこから桑名という行程。この地にお邪魔するのに20年ほどかかってしまった。同企業のタイの工場には2回も行っているのに、という体たらく。

 

ヤマモリ株式会社、本社に到着した。

もう就業時間を少し回っており社内はひっそりとしていた。会長室に通される。秘書の女性のデスクのむこう。三林会長がいらっしゃった。大きな感慨が腹から湧き上がる。

 

三林社長とはそろそろ20年近いお付き合いとなる。お付き合いと生意気を言っているが、お付き合いをして「いただいている」のである。なぜわたしのようなどこの馬の骨ともつかない男と接点があったのか。久しぶりに書きたくなった。

ブログなど書いているとよくしたもので、自分の頼りにならぬ頭よりも正確にその当時の日付といろいろな記憶が残る。長くブログを書いている人間ならではのありがたい恩恵だ。遡れば2007年の新春のこと。

当時集まっていた「カレーブロガー」という人々。ただブログを書くだけではなくたまに会っては食事会などやっていたのだが、そんなメンバーの中になぜか光学機器メーカー社長がいらっしゃった。わたしが軽口を叩いて「あんたなんか下々の食べ物であるレトルトなんぞ食べたことないだろう。この世界にはヤマモリという素晴らしいメーカーがあってだな、、、」など蘊蓄なぞ垂れ流す。すると「いや、いつも食べてるし。カートンで買ってる。ヤマモリの社長、友達だから」なんて言葉が飛び出して場内はパニックとなった。

その後彼が段取りを整えてくださり、2007年の新春、ヤマモリ東部支社の年頭の挨拶に三林社長(当時)が出席するその前日に前入りしてくださり、新大久保のタイ料理食堂「ルンルアン」にて食事会と合い成った。そこからの長いお付き合い。まったく光栄なことだ。

 

三林会長と上野毛戸社長、わたしと三人でヤマモリのタイカレーができた頃の話やわたしがヤマモリタイカレーを食べ始めた時期などを突き合わせたりして大変楽しい。ヤマモリタイカレー発売が2000年。わたしがブログを書き始めたのが2005年、書き始めてわずか数回めにもうヤマモリのレトルトを取り上げており、以降定期的にレトルトタイカレー、事あるごとに書いていた。2007年の三林会長との出会い。年代と流れの整理がついた感があった。

 

そんな昔話しやらなにやらを楽しくおしゃべり。このあと会食に招待してくださった。

柿安本店。素晴らしいひと時だった。松坂牛の雨あられ。安らぐ空間と接客。三林会長と女将さんとのこなれた会話からくる安心感。

なぜこんな素晴らしい会食を用意してくださったのか。なぜだろう。自問自答するも何も浮かばず。なので勝手にこう解釈した。60の誕生日を祝ってくださった。タイカレー普及の戦友として、友人として扱ってくださった。僭越もいいところであるが、そう思うことに決めた。ただもう素直に感謝して、勝手に思いを募らせればいいと思っている。

帰り際の三林会長はかっこよかった。お世辞ぬきだ。濃紺のポルシェ・パナメーラのドアをするりと開いて私たちに手を軽く上げてスッと乗り込み、ひとり静かに走り去る。リズムというのか、あれはなんだろう。余計なことをくどくどなど一切なく、片手を上げるだけで十分伝わっただろ、とでもいうように背中を見せて、桑名の暗い道路の奥に消えていく。流れるようなその一連の去り際がとても印象に残った。なるほど、ちょっと理想に近いかもしれない。

そして、三林会長と上野毛戸社長と三人のの付き合いは終わらない。

 

追記

写真は野暮なので撮っていない。

 

【旅のメモ】名古屋納屋橋、サイアムガーデン。

素晴らしきタイレストランにお誘いをいただいた。しかもなんでそうなった?!の宿泊ののちのランチ。

「サイアムガーデン」は今も昔も変わらない輝き。そして唯一無二。

タイを代表する料理研究家のシーサモン・コンパン博士の全面的な指導の元「本当のタイ料理を紹介したい」という思いで自らシェフを選定。メニューや調理技術の監修までを担当し、屋台フードとはまったく違う世界観を作り上げている。建物の由来も素晴らしいのだ。登録有形文化財にして昭和10年から20年頃までシャム国(現在のタイ)の領事館が置かれた歴史。詳しくは別記事の「カレーですよ。」にて。↓

カレーですよ5382(名古屋納屋橋 サイアムガーデン)歓待 in 納屋橋。

 

【旅のメモ】帰りなん いざ。

さて、帰り道。帰る先は田園ではないが。

短いが心温まる時間をくださった今治のご家族。胸が痛くなるほど嬉しかった。忘れ難い。あの町にすぐ帰りたい、と本気で強く思わせてくださる。実現せねば。

ちょっと寄り道くらいの気持ちで寄らせてもらう旨をさしあげたら下にも置かぬもてなしをくださった三林会長。そして2日間にも渡ってぴたりと寄り添ってくださった上野毛戸社長。桑名のいいところ、もっとみて歩きたかった。

 

平日の昼下がり。不意に名古屋の街でクルマと共になにもなくなってしまた。本来のわたしの旅だ。なにも目的がなく、しかし好みというのはあって地元のスーパーマーケットやその町の生活が見えるような場所をのぞいてみたい。下道をダラダラと寄り道しながらある程度まで走って、そのあと高速でノンストップ、と考えた。

友人がSNSでたまに書いていたリサイクルショップの「キンブル」に寄ってみた。思ったよりも、という感はあったが面白かった。たまに話題になる「ウォルマートに来る個性的な客たち」的な(あんなにすごくはないが)面白さがあった。いわゆる「バッタ屋」なわけだが目を凝らすと東京でよく売れる商材がここ名古屋では不評でこういう場所に流れることがある。これがおもしろい。むかし、そのおかげで大須のコメ兵でエアモックの初期物新品を格安で何足も買った思い出がある。

「道の駅とよはし」も面白かった

19時を過ぎて店もしまっており、シーンと静かだったのだが、なぜかそのしまった店の入り口の暗がりにインド人。店を開いている。なんだこりゃと近づくとなるほど、カレーやナーンを売っている。どうやら店内での販売を終えると商品の回収がてら店頭で、ということらしい。チーズナーンを買って翌日食べたがバカうまであった。

静岡あたりで高速に上がってからは、たまにSAでトイレ休憩をするだけ。上りの海老名SAでは成城石井が入っていて、だったらあるはず、と飲料コーナに行くと案の定伊良コーラを入手できた。刺激で目が覚める。

自宅への帰着は深夜2時。3日で1000キロを走り切った。もっと遠くにもっと長く走りたい。