神田の「いもや」の流れを汲むとんかつ店があるのです。流れを汲む、と言ったけれど昔はここがまさに「いもや」そのものでした。12月の24日、クリスマスイブの日にそういうネタも入れずにしかもカレーなしよで行っちゃう、お題は天ぷらってもうね、なんかね。いや、いいんだよ。オールウェイズ平常運転だから。
カレーなしよ。
「いもや」の各店もそうだったのですが、店内には独特の緊張感があります。緊張感というとつらいもの、厳しいものと取られがちですが、それとは少し違うもの。静かに待つこと、料理の皿に集中すること、黙って食うこと。そういう当たり前のことをなにということなく皆が守る心地よさ。そういう空気があります。心地よいな。
かといってどこかのラーメン屋のようにおかしなローカルルールを押し付けられ、それを知らない客を店内の客が冷ややかに見るような排他的な空気は一切なし。居心地がいい。
「あさや」
になってもあの素晴らしい白木のカウンターは健在。うれしくて泣きそうになります。
しじみ汁も、とんかつも、山盛りのキャベツの千切りも、なにもかも変わりなく続いていることが素晴らしい。まったくありがたい。こころから。
夜、ふらりと入ってさっとメシを食って長っ尻することなくすっと席を立ちます。こういうカッコいいのを自ら意識してやるのです。スマートな大人の立ち振る舞いを楽しく演じてクルマに戻ります。ああこの楽しさよ。
誰のためでもなくね。自分がカッコよく思う行動をするのです。趣味という言い方もできるな。メシを食うという行為をもうひとつ上に持ち上げる行為です。