舌の根も乾かぬうちに、とはこのことです。青梅駅のそばにいました。先ほど駅からほど近いお店、「Omebeer Craft Beer Bar 青梅麦酒」でカレーを食べたのです。
カレーですよ。
十分満足でありました。快適な良いお店だったよ。そこを出て、少し駅前を歩き回って青梅の路地や街並みを楽しんでからのち、久しぶりのあのお店を訪ねてゆきます。自分の中でいくつかある、大事にしたいお店の筆頭。
名前は、
「夏への扉」
といいます。R・ A・ハインラインのあの小説と同じ名前。屋根には黒猫がいます。ほらね、跨線橋の向こうでこっちを見てる。ここがどうにもこうにも落ち着くお店でね、ちょっと奇跡のような場所だと思っているんです。もともとが古い古い眼科の診療所であった建物は、1933年からここにあるといいます。築100年が見えてきてるねえ。
里山の中腹というような場所で、言わば峠の茶屋なのですよ。そのまま登っていくとそれこそ山の上にある「青梅鉄道博物館」に辿り着います。今は休園中なのがちと残念。リニューアル目指して工事が入っているとかなんとか。その山の麓、谷というか、切り通しというか。その谷を中央本線が走り、それを見下ろすような崖上にこの喫茶店が建っています。
窓からはいつでも日差しが入って店内を穏やかに照らし、谷下から中央線の鉄輪が線路を叩く音が聞こえてきます。終着の青梅駅がほんの少し先にあるため列車はかなり減速をしてゆっくりと通り過ぎるのです。中央特快が阿佐ヶ谷や高円寺を飛ばして進むあの短く刻む騒音ではなく、線路の継ぎ目を鉄輪がゆっくり踏んでいくリズム。他に代えようがない空気を作り出している、と思っています。
下世話な言い方をするとスタジオジブリの作品に出てきそう、かな。わたしとしてはそっちよりも大林監督作品の空気があると思っています。
さて、メニューにはカレーがあります。しかし今日はすでにカレーを済ませているんだよね。なので、お茶をいただいてゆっくりしようと決めていました。決めていたのにいま、わたしの目の前のテーブルには湯気が立ち昇るカレーのお皿があります。なぜだろう。なぜなんだ。なぜもなにもありません。わたしが注文したからです。
もうソラで言える、いや、もう脊髄反射で勝手に口が動く「野菜カレーに紅茶をつけてください」というセリフ。どうやら意識の範囲外で口がすべったらしいな。致し方ないな。このカレーを避けて通るなどこそが、どうかしているのであります、この場所では。
「野菜カレー」
これこそが丁寧なカレーライスだ、と感じます。タマネギを炒めて炒めて甘みを強く引き出して土台を作ってあって、そこにちゃんと存在感のある野菜たちが入るんです。野菜の持つ甘みや香りを支える感のある穏やかなスパイス使いもとてもよくてね。実に、実に美味いのです。
本当に大好きで、おいしくて、わたしのカレーへの理想の一つと言ってもいい味が、青梅の駅のそばの峠の崖上の古い建物の喫茶店にある、ということ。本当に尊いものだと思っています。
この日実は、わたしの大好きなこの野菜カレーを、100%では楽しめなかったんですよ。由々しき事態、、、ではなかったのです。悪いことじゃないの。
いつも憧れつつ、ひとりでくるもんだからなかなかチャンスがなかった奥の大テーブルの席にマスターが案内してくれたんです。相席のお客さんががいました。おばあさん、というにはもう少し若いかしら。わたしより少し年上という感じ。一言二言喋るうちに楽しくなったのです。地元の人で、彼女は陶芸作家。青梅という街のことを色々と話してくれました。
賑わっていた戦前の話しや繊維の町であったこと、映画館がたくさんあった話し、大きな宴席を抱える料理屋や色町まであったとか。その後林業に転換して、など大変に面白いのです。小さなこの町を歩いていろいろと見たものの答え合わせをしているような楽しさだったなあ。
その話しと同じくらい、わたしにはカレーも同じく大事なので失礼にならぬよう、話しを聞きながら食べ進めます。そうやって胸も頭もいっぱいになります。耳が悪くなって以来、こういう体験を避けていたな。避けるというより諦めるという方が正しいか。ただ、まだやり方はあるし、テクノロジーが味方してくれる世界になったし、そういうものが好きなわたしがいます。あとは自分の心の問題だね。
カレーはもう一度食べに行こう。いや、何度もこなければ。彼女から大変な話を聞いてしまったから。
お店は移転・存続ですが、この場所はことしの夏になくなってしまうようなのです。