クルマは心理的な「控え室」のようなものなのだと考えています。あくまでわたしの場合ですが。それはどういうことなのか。
わたしは東京都市部、湾岸地区に住んでいますが、都市部の人間としては異例なくらいクルマを多用しています。コスト的なことを言えば公共交通機関を使って移動、仕事をしたほうがいいに決まっているのですが。が、しかし。
外出時、出がけのわたしはどんどんいい加減になってゆくのです。だらしない性格ゆえ服が決められなかったり帽子や靴に迷ったりは本当に日常的に。持ち物、ガジェットも然り。
「ああ、もしかしてGoPro使うシーンがあるんじゃないかなあ」「ひさしぶりにコンデジ持ち出したいなあ」「みんなが集まるから念の為に三脚持って行ったほうがいいかなあ」「そうだ、誰々さんの写真を撮って感熱プリントの写真を手渡したら面白がってくれて喜ぶだろかなあ。」とか。
「あっ!きょう暑いよねえ。着替えのTシャツいつもより多く持っていくかあ」とか。「帽子、決められない。靴も。うーん、2個持ってっちゃえ!」とか。
で、「クルマだから着替えとかはクルマん中でOKだよねー。だったラフな格好でリラックスして現地まで行こう」とか。
起きもしない「緊急事態」のために「念のため」アイテムを装備するんであります。そうやって荷物が異常に増えたりするのです。少し誇張したけど、だいたいこんな感じ。うーん、色々t考えるところもあるんだけど、でもこんな感じ。
そういうときに、クルマは本当にありがたい存在です。衣装部屋にして控え室。なおかつ仕事の出先でちょっと行き詰まり気味であれば「ちょいとリフレッシュ」とか言って散歩を装って自分のクルマに戻って深く息をついたりするわけです。すごく救われるんだよね。
つまり、クルマで行った先では何もなくてもどこに居場所がなくてもいつでもプライベートスペースが確保できている、ということ。このことがどれだけ心理的に負担を軽減してくれるか、ということなのです。
クルマを部屋のように考えたり使ったりするのは美しくない、と思っていた時代がありました。熱狂的にクルマが好きで、美しいセダンや獰猛なスポーツカーなどが好きだった時代のこと。デザイナーのオリジナリティが一番よく出る一世代目の型式を好み、デザイナーの意向が色濃いインテリアには手をつけず、余計なものを置いておかず。
クルマは美しく走らせるためのもの。クルマにクルマ以上を求めてはみっともない。クルマが可哀想だ、だからワンボッスのバンなど言語道断、そんなことを思っていた頃がありました。いまはそういう思いはなく、並行してどちらも得るという方法が見つかったので心穏やかです。控え室としてのクルマとスポーティだったりエレガントだったりするクルマと2台持てばいい、など考えます。
それにしても、コインパーキングに戻り、自分のクルマが見えた時の安堵感というのはとても大きく、大事なものだなあ、と思うのです。