タップロボーンはいつも同じことを思うんですが、料理が妥協なくきちんと美味しいんです。手間だったりこだわりからそういうものがやってくるのがわかります。カピラさんから話を聞いても、聞かずに食べてもそれが伝わってきます。
これはまちがいがない。
カレーですよ。
先日、取材でおじゃまをしたんです。例の連載「それでもカレーは食べ物である」の取材です。
ここ「タップロボーン神保町店」でもう108回目。この記事の次号、109回目からついに連載10年目に入り、そろそろ10周年も見えてきました。10周年には盛大にお祭りをやりたいな。
「タップロボーン」
は連載の23回目に青山の本店に取材にお邪魔しています。
今回はコロナ禍でも折れず、負けず、前進を続けるカピラさんのことを書いてほかの飲食店の皆さんへのエールにしたいと取材を申し込みました。
カピラさんのところの料理は相変わらずいい。美味しい。とても好きです。
「コットゥロティ」のもちもちした食感、「アーユルヴェーダラトゥキャクルワンプレート」の赤米の香り、「ランプライス」のマレーシアなどの要素であるパイナップルが入ったり甘酸っぱい味付けの炒め煮のおかずなど、味の幅がほんとうに広くてとにかく楽しめます。
関東のスリランカレストラン数あれど、現地に限りなく寄せているというところと洗練という2つの要素のバランスをこれだけ見事にやってのけている店は他に類を見ないと感じます。
とても価値がある。
今、今日現在。
あまりに現地食堂風にしてしまうのはなんというか昔風に感じてしまうんだよね。悪いと言ってるんじゃないんですが。
30年、40年前の、秘境に分け入るようなアジアエスニックレストラン体験はいまはもう骨董品かもしれません。骨董品が悪いのではないんだよ。わたしにあっては今でもそれが好きで、求めて探し入ってしまうことも多いです。
けれど、骨董品という価値観だけの上にあぐらをかいていられる時間ではもうないということ。骨董品を自分で意識せずに淡々と同じ時間を重ねてきた店には良い空気があります。それはとてもいい。それこそ他に変えられるもののない価値でしょう。そんな店こそわたしの好みです。
しかしながら現代においてはクラシック、オーセンティックの軸を持ちながらもモダン、洗練を加えてやるようなものが求められているはず。
そういう価値観をちゃんとキャッチしているかどうかで店の立ち位置と価値が変わるとおもっています。
そういうものを体現しているタップロボーンという店には独自、唯一の価値があります。