カレー批評の批評 カレーではないのだと気づくと見えてくる色々な物。

よく見かけるんですよね、こんな感じの料理の批評。カレーについて。

「このカレーは薄くて辛くてコクがない」「辛くない、味がない」「カレールーの量が少なくごはんがあまる」「苦くて変な味がする」など。

これらはGoogleマップに出てきた投稿なんですけど、とても興味深く読むんだよね、いつも。それでわたしはそのあと、嬉々としてそれらの店に向かいます。果たしてその店は高確率で旨い料理を出してくれます。

 

こう読み取っています。

 

「このカレーは薄くて辛くてコクがない」

→インド料理などの粘度の低いスープ系のものではないか。もしかすると希少なものなのではないか。

 

「辛くない、味がない」

→うまいダールなどではないか。他の料理と合わせるとパフォーマンスが倍増するやつではないか。

 

「カレールーの量が少なくごはんがあまる」

→カトリに入ってるんだろう。他のおかずと合わせて食べるべきものに違いない。もしくはきちんとご飯によく混ぜてやるとちょうどよくなるはずのもの。(あと、ルーって言ってる/笑)

 

「苦くて変な味がする」

→これはスパイスの楽しい使い方をした料理に違いない。

 

だいたい想像は当たっています。経験値からくるものです。

もちろんその批評の他にも色々書いてあることがあったり、またその店の店名や立地、店主の写真その他いろいろな要素から類推してうまい料理に行きあたるわけなんですけどね。こういうコメントを見て思うに、どの書き込みも「カレーライス」が好きで「カレーライス」を食べようとしているのではないかと想像がつくわけです。

いやいやいや、カレーライスじゃないから。あなたが食べているそれ、そいつは異国の郷土料理であって彼の地でお母さんが作ってくれたり食堂で出てくるもので、けっして日本のカレーライスではないんだから。比べるとかじゃない、基準点がぜんぜん違うんですよ。

 

「いや、インドレストランで食べたあの時のカレーライスは美味しかった」と主張する人もいるんだよね。ちがうちがう、それもちがうの。それはコックさんの商売におけるセンスというものがいいからおいしいの、日本人でも。この地での仕事により真剣なのだとも言えましょう。その店が料理を出している地域、大まかに言えば日本。その風土とそこに根付く舌の向いている方向に上手にチューニングしてあると想像ができます。それは「異国の郷土料理のカレーライス化」したものであってもはや「日本のもの」です。

 

そういう書き込みを否定するつもりはないんですよ。しかしいつでも考えて欲しいのは、あなたの舌だけで判断していいものなのか、ということ。あなたの舌がこれはダメだと判断しているのに、なんで隣の客はうまそうに食べているの?なんでその店がとても長く続いているの?そこに疑問が持てるかどうかが分かれ道。そして多くの人が見る場所での発言というのはそういう気づきも必要でしょう。ただの感想文なのにお店を責めるような発言は見る人が見ると「はずかしいひと」「自分の経験値が低いのに声が大きい人」に見えるということです。

そして、やはりこういう意見、書き込みなどを見ると「カレー」という言葉は呪いなのだと改めて思うわけです。外国人が日本の郷土料理を指差して全部「ワショク」というのは違和感を感じるでしょう。なぜならそれぞれひとつひとつに名前とそのバックボーンがあるから。さっきの話もそういうことです。

 

長く主張しているのですが、ニッポンのカレーライスは、一度外国の郷土料理とカレーライスを分けて考えるべきなのではないかな。そしてそのあとで、大きくわかりやすい括りで偉大な言葉でもある「カレーライス」の仲間とあらためて呼ぶべきだと思うのです。カレーライスの中のジャンルとしての「日本のカレーライスに似ている異国の郷土料理」なのです。