千葉県長生郡の長柄という小さな町があります。何があるわけではない、小さな場所。でも行きつけの場所でもあります。蕎麦を啜りに行くことにしました。
カレーですよ。
知人の社長が亡くなりました。昔の自分の仕事場の長ではなくて。
若い頃、わたしが雑貨の輸入卸の商社にいる時代がありました。その業界に10年くらいいたかな。そのころに、わたしが業界内で転職などしても、ずっと取引先としてお世話になった会社の元社長が亡くなったのです。その会社も今はありません。
おもしろい、変わった人でね、在職中も変わった人だなあといつでも思っていたんですが、社長、会社を潰してしまってそのあと隠遁生活に入ったって風の噂に聞いたんですよ。
ところがやっぱりあの社長なわけで、ちっとも隠遁生活じゃないし、止まっていなかった。それがうれしかったです。
その隠遁先も変わっていて、山でした。山です、山。そしてその山にじゃましにいってお話しを聞くとやっぱりますます、変わった人だなあという思いが強くなりました。そのひとは小野塚万人という名前。万人とかいてかずんどと読みます。名前も変わっているよな。
それで、社長の山(の、ではないんだけどね、ほんとうは)にある社長の寝床と社長が企画して館長も務めていた「クマの森ミュージアム」にほどちかい蕎麦屋に行くことにしたんですよ。社長はわたしの妻のいた会社の社長で、葬式が終わって少しして、妻と二人で顔を出しに行ったんです。手を合わせるついでに社長のよく行っていた蕎麦屋で蕎麦でも啜ろうという話になりました。
「ながら長生庵」
といいます。
ここ、実はちょっと面白い店でね。
高台の畑の中にある「ながら長生庵」。自家製麺を売りにしていて、そのお店の周りは蕎麦畑。蕎麦畑の真ん中に蕎麦屋があるんですよ、この環境はちょっと驚いたなあ。それで、食べてもっと驚いた。大変な美味しさです。こりゃあすごい。
頼んだのは、これがまた抜かったことに、
「カレー南蛮せいろ」
なにやってんだか(笑)ここはカレーはやめとけばいいのにねえ。ついついあると頼んじゃうカレー味。お蕎麦、台無しだよなあ。
でもね、ところがね、これが美味かったんです。ほんとうにいい、おいしい。豚バラ肉、名古屋コーチン団子、長葱が添えられています。
カレーのつけ汁がね、かなり上出来でね。蕎麦屋のカレーのアレをもっとなんというか、こう、スマートに仕上げたという感じがします。カツオ出汁かしら、お汁によく効いていて悪くないんですよ。
長葱が味濃くて切り立てで強い香りで、実に良いんです。これぞ薬味という感じだね。いいおネギだなあ。
しかも名古屋コーチンの肉団子がまた素晴らしくてね。豚バラ肉もいいし。かなりの良いものです。どれも素材の味がきちんと輪郭を持っているのがよかったな。
で、妻に蕎麦猪口を借りてそばを啜ってみるとこれが打ちのめされまして。ああ、これはもう、こっちを食べねばいけないものだわ。蕎麦がばりっと固くて角が立っていて、蕎麦の実の香りが強くて、実に実に美味いのですよ。悲鳴をあげそうになったよ。南蛮つゆで啜った数口を恨めしく思い返します。それくらい蕎麦がうまいんです。ここはやっぱりスタンダードに蕎麦つゆでいかないとダメだねえ。しかもそのうまいそばを蕎麦畑を見ながら啜れるわけですよ。ここは天国かしら。
次回、間違えぬようにせいろを頼む心算です。いや、南蛮のつゆとせいろでいきたい。南蛮の方はごはんをもらうとしましょう。あるかな、あるといいな。
そして、蕎麦を啜りながら思い出話し。
業界の有名人で、社長を慕う人は大変に多かったのをしっています。商売上手でね「枯葉1枚でも商売にする、なにもないところから金を作りだす」という名言を残しています。そんな剛の者のビジネスパーソンだった社長は、何度も尋ねていきましたが山では仙人のような生活をしていました。
山を管理、安定させて建物を建て、里山整備と共生を考え、土地の人と仲良くなり、知らぬ間にその土地のコミュニティのようなものを一つこしらえてしまったんですよ。社長なら不思議でもなんでもないな、とも思います。
魅力的な男でね、代官山時代は洒落者という言い方がぴたりとくる生活をしていたのですが、会社を潰し、一人になって山に入ると知らぬ間にその地にどしりと腰を下ろして知らぬ間に木こりやマタギのようなすごい筋肉をつけていて、おいおいその歳で急にその筋肉かって、と驚かされたものです。
丸太小屋の前で大きく重たいチェーンソーを振り回して熊のカービングアートを作り、近所の人にもらった中古の屋根なしジムニーを道のない山の中で自由に乗り回していました。そんな社長でした。
わたしが社長を見たのはいつだったかなあ。時期は覚えていないんですが、ひとりで彼を訪ねて行って留守だったことがありました。薄暮の時間、ちょいと待ったんですが、なかなか帰ってこない社長の寝床をしぶしぶ離れてクルマを山の中腹に停めてシートを倒して休んでいると、山の上から赤い光が降りてきたんです。なんだろうと暗がりのシルエットに目を凝らすとどうやらシニアカーみたい。そうか、あれ、社長か。
ここらへんの数軒の家であれに乗っているのは社長だけのはず。なんとなく、クルマを降りて声をかけるということはしませんでした。あの洒落者がシニアカーを転がして麓の蕎麦屋に晩飯を食いに行くところなぞひとに見せたくないのではないかな。勝手にわたしが思っただけでしたが、そう決めてわたしはクルマの中で社長のシニアカーのアンテナの先についた赤いライトをずっと見送ったのです。きっとそんなこだわりさえ遠くに投げ捨てて自由にやってるのだろうとも思いました。でもやめといた。暗くて横を通った時も表情が見えなかったよな。
それが彼を見た最後になりました。
この日はクマの森を管理している男性にもお会いできて、祭壇の前というわけにはいかなかったんですが、窓越しに手を合わせることもできました。よかったよ。
気がかりはあの人なつこい猫ちゃん。いい子でひとなつこくてかわいくて、社長にかわいがられていたんだろうなあ。誰か心の優しい人がこの山から離れずに世話してあげられるといいんだけどなあ。
うまい蕎麦もあることだし、また社長の熊たちに会いにこようかね。