テクノロジーとえにしのちからの融合を感じて驚いています。ちょっと言葉にならない。本当にえにしがテクノロジーを経由し作用してきたな、と確信めいたことを感じました。何か、一番離れているものが気がつくと繋がって歯車が動く感じ。
少し前、エレンさん監修のレトルトカレーを食べました。なんというか、レトルトカレーはレトルトカレーであってそれ以上でも以下でもないものです。メーカー製造の、工場からやってきたプロダクト。しかしそういうものに魂が乗ることもままあるのだ、とも思っています。たとえばスーパーカブの背骨に本田宗一郎さんの想いをみたり、ソニーのトランジスタラジオとかウォークマンとか全盛期のソニー製品なんかにもね。
エモーショナルな部分というのは製品以上に自分の内側にあるのだと考えています。しかし、それを含めてのプロダクト体験であり、食体験でもあるわけです。わたしがレストランの例えでよくいう「味3割」の話しと同じことかもしれません。レストランは味3割、ではあと7割はなんなのか。それは身体的、感覚的な実際の体験のこと。舌だけ味だけではないのだ」という話しなんですが。
レトルトカレーにおいても少なからずそういうものはあると感じているのです。
こういう話しの中でエレンさんを引っ張り出すのはいいのやら悪いのやら、という感もあるんですが、36房が生み出したあれにはやっぱりエレンさんの意思が乗っていると感じるし、そうでなくては困るのです。わたしの内面的なところでも、そういうものに積極的肯定の意思を持っています。外と中、全部含めて食の「体験」なのだから。
わかりづらいでしょうか。ではこういうのならどうかな。
朝方、まだお布団を出るのがイヤでぐずぐずとSNSを見ていて突如目が覚めたんです。SNSを開いた一番上に「Big Sur / ビッグサー」の名前。驚いて目を通すとレトルトの販売のお知らせでした。とるものとらずでその場で急いで注文を済ませます。ビッグサーのアカウントからのこの投稿、実に2年数ヶ月ぶりの発信。なんというタイミングだろう。
江ノ島・ビッグサーのマスターが亡くなったのは2019年のちょうど今頃だったな。いや、春だった記憶があるな。通夜の晩は少し雨混じりではなかったかしら。そんな記憶。マスターは闘病中であったのですがそのなかでも歩みを止めず、料理の試作を繰り返してレトルトカレーを完成させていました。実はわたしも「味見してくれよ」など言われて預かった試作品を食べ、その感想や官能評価のメモを差し上げたりしていました。ギリギリ間に合ったのです。マスターが向こうの岸に向かう前にかけがえないものを残してくれて、それをきちんと済ませて旅立って行きました。
そのあと、ご家族が引き継いで定期的にレトルトを製造しては販売をしてくれていました。メーカーではなく、現在、江ノ島にあった店も無くなってしまっているため、発注、製造して在庫を持ってというのはきっとご家族にはご負担が大きかろうな、と想像できます。しかし、続けてくださっている。なんというありがたいこと、尊いことでしょうか。
つい数日前にエレンさんのルンダンを食べたのですが、その時にわたしがSNS投稿で店の名も出さずに「江ノ島のマスター向こうでどうしてっかなあ。」などチラリと書きました。店の名も出さず、たったそれだけしか書いていない、かけらのさらに小さいもののような断片がインターネットを経由して世界に小さく小さく発信され、そこからテクノロジーがビッグサーというキーワードを引っ張り出してきたのです。これだけだったらテクノロジーオンリーで行ける現代でもあります。入力デバイスからインプットされるワードを拾って近いものを提示してくるのが現在のインターネットを経由したテクノロジー。しかし、そうなのだけれど、それだけではなかったな。
そうそう多くない、というよりも本当に年に1〜2回しかSNS投稿がないビッグサーのアカウント。
固定のヘッダー投稿が2023年の正月の挨拶になっていました。その前の投稿が2022年の夏。そしてわたしが目にした投稿は2時間前、とありました。半年ほどのサイクルの投稿がつい2時間前になされてそれをSNSがわたしに提示してきたのです。これはテクノロジーではなく、ご縁。えにし、でしょう。間違いない。
ビッグサーのマスターとの付き合いはまだまだ続きます。彼がいなくなっても続くのです。エレンさんとの付き合いもきっと長くなるな。途切れることはないのです。そして5月、小野員裕さんのはじめての命日がやってきました。
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