【コラム】弁当屋のおじさんに、ぱりんと音がしそうな笑顔をもらって胸がうずいた話し。

雨の帰り道。

クルマで遠くまで出かけ、強い雨が降る中、4号線を淡々と東京に向かっている途中。

茨城、牛久あたりだったかな。いつも通りかかる弁当店があります。

 

その日はもう22時を過ぎたというのに灯りがついていて。その弁当店のことがなんとなくずっと好きな感じでした。

なんの変哲もない街道沿いの小さな個人経営風の弁当店で取り立てて特徴も強くあるわけではないんだけれど。

わりといつでも遅くまでやっている印象があったけど、こんなに遅くまでやっていたろうか?そんなこともあったり少しお腹が減っていたりでクルマをターンさせて店の前へ。初老のおじさんがだまって注文を聞いてくれます。

弁当を頼んだのだけど特に愛想もなく、だまって釣りを渡してくれて、淡々と弁当の用意が始まって。

おや、と気がついたのは、おじさんはどうやら接客と包装担当のようで、奥の厨房の人が弁当を作っている間、レジの脇で微動だにしない。

うん、こんな深夜帯で、正直人通りなどまったくない街道沿いで2人の店員さん。なんだろうなあ、と思ったわけです。でもちょっと思っただけでとくに気にもならなくて。

手持ち無沙汰の雨の街道沿い。所在なく店の外観を少し離れて眺めてみたり。(昔風の弁当店で趣というものがある、と感じているのです)近寄って、黄ばんでしまって薄くなったアクリル板に印刷されている弁当のメニューを眺めたり。

そんなことをしていると、カウンターのガラスに張り紙があるのを見つけたんです。張り紙にはこうありました。

「この店は障害者がやっています」

そうだったか。そうか、そうなんだ。いろいろと腑におちました。なんとなく気分が変わって弁当を待ちます。

さて、弁当完成。さっきのおじさんが包んでくれています。

 

「どうもありがとう!」

 

と伝えると、驚いた。弁当屋のおじさんは、ぱりんと音がしそうな特上の笑顔をくれたんです。

なんだろう。なんだろうな。きっとあれだな。わたしも注文をするときに、心が閉じていたのかもしれないね。ただもう機械的に注文をしたのだろうね。

いまのありがとう、は心から出たし、おじさんはそういうのをきっと受け取って笑顔を返してくれたのだろうね。いろいろと気づかされてしまったな。ちょっとまいったな。

いろいろな意味で胸がうずいたんです。

これは障害者の人だから、の話ではないんだよ。コミュニケーションの話し。

コミュニケーションはいつだってこちら側から。それを改めて思い出した。そうだった、そうだよね。

とてもありがたく思いなから、しばらくクルマのシートから深夜の弁当店の灯りが消えて店じまいをする光景を眺めていました。

いいことを思い出させてもらったな。

 

少し走ってからロードサイドにクルマを止めて食べた弁当、とてもうまかったのはいうまでもありません。