カレーですよ5010(大森 インド宮廷料理 マシャール)フセインさんと塚本さん。

仲良くしている初台の「初台スパイス食堂 和魂印才たんどーる」の塚本シェフからお誘いがありました。ちょっと見逃せないお誘いでした。すぐに申し込み、よかった。枠に入れた。

 

 

カレーですよ。

 

 

驚くべき食事の会でした。大森、マシャールのフセインシェフと初台、和魂印才たんどーる塚本シェフが一緒に厨房に入り、一皿の料理を提供するという企画イベントだったんです。これがどうれくらいすごいかというと、なかなかにとんでもない。日本のインド料理の歴史の中の一コマに直接お邪魔をするような感覚、とでも言いましょうか。いや、実際にそうだと思う。

日本のカレーの歴史、すごく乱暴にかいつまむと、明治時代〜昭和初期、戦後50年、以降、というイメージで分けられると考えています。

明治時代〜昭和初期というのはカレーライスの混迷期と初期の普及期。まだ家庭には入ってきていません。戦後(第一次世界大戦)になり復員兵の皆さんが家庭に戻り、その時に軍隊で知ったカレーライスの普及が進んだという話があります。並行して町の洋食屋さんでもメニューに載ることが多くなりました。給食での普及も大きいと思います。この中で、群雄割拠から大手2社が突出してきて、という現在のカレー関係メーカーの流れに至ります。

この中で「日本のインド料理」というところで新宿中村屋総本店、ナイルレストラン、アジャンタという店が必ず出てきます。インド独立運動家ラース・ビハーリー・ボースの新宿中村屋総本店、同じくインド独立運動家A.M.ナイルのナイルレストラン、これまたインド独立運動に参加していたジャヤ・ムールティーのアジャンタ。日本のインド料理の祖となる店はその創業者や関係者がインド独立運動に関わった人たちばかりなのです。(第二次世界大戦)

その中でアジャンタは日本のインド料理、カレーというものに大きか影響を与えている店。当時日本のインドレストランでは日本人はどうしても入れてもらえなかったインド人コックだけの世界、インド料理店の厨房の現場。アジャンタだけはその自由闊達な空気の中、日本人を厨房に受け入れてその技を惜しみなく与えていました。

栃木益子「けらら」、横浜「ガネーシュ」、大分「サルナート」、千葉検見川「シタール」、仙台「チットラ」、高幡不動「アンジュナ」、船橋大神宮前「サールナート」、埼玉「さらじゅ」(閉店)など。そこから出た日本人の名シェフたちが日本全国で名店といわれるインド料理やカレーの店をやっているのはご存知でしょう。

「初台スパイス食堂 和魂印才たんどーる」塚本シェフもアジャンタで仕事をしており、いわば師弟関係のようなものですが、当時のアジャンタのタンドール番であったフセインシェフにその技術を教わっています。その二人の厨房での邂逅、これは「日本のインド料理の歴史の中の一コマ」という言い方、間違ってはいないはずです。

 

長くなりましたが、

 

「ラム肉のコラボディナープレート」

 

という企画ディナーにお邪魔をしました。塚本シェフが誘ってくれて出かけて行ったんですよ。

楽しい食事でした。

ざっくり言ってしまえば、カレー2種とナン(クルチャ)、ごはん、タンドール料理2種にサラダとデザート、チャイがついたワンディッシュ。インド料理屋でランチタイムに出てくるあれの構成と同じと言えばわかりやすいでしょう。しかしその皿の上に載っている料理は鬼気迫るものを持つ、師弟合作のワンプレートディナーなのです。

 

ラム肉とぶどうのカレー

なにしろインド宮廷料理を名乗る店のヘッドシェフ、フセインさんなわけです。生半可なものは出てきません。当然濃厚で洗練のある料理を期待してしまうわけです。果たしてその期待は望み通りなどいう言葉をこえたところで叶えられてしまうのです。身震いしてしまう、、

濃厚なバター/ギーの口当たり柔らかさにまず深く頷かされます。スプーンで探ると葡萄(!)が出てくることに驚かされます。えっ!なんだそれ。ところがこれがよく合うんですよ。驚きが先に立ちますが、マッチングのレベルが高い。

西欧料理のシチュー的ニュアンスを感じる料理に仕上がっています。ここで思い出したのは、荻窪のトマト。トマトのカレーは欧風という括りになるでしょう。フランスなどの煮込み料理を祖とするものです。あの濃厚で奥行き深い、シチューの延長上にあるトマトのカレー。「和牛ビーフジャワカレー」と「仔牛のミルクカレー」の中間くらいのニュアンスが、このフセインさんのカレーにはあるんです。驚くよね。インド宮廷料理なんだけどヨーロッパの煮込み料理にニュアンス。

もちろん煮込む時間や素材の違い、たくさんの相違点はあるはずなんですが、厚みのある乳製品を使う煮込み料理であること、それをトップシェフが作り上げていることでニュアンスが似るんです。インドの王様たちが食べていた料理の末裔がこれなのです。

 

昔々、バーで毎夜飲んだくれて遊び歩いていた若い頃。バーのマスターが面白い遊びを披露してくれました。高級なシャンパンを開けて振舞ってくれたのですが、そのあとに同じく大変に高価な日本酒を開けてくれて、さあ飲み比べろというのです。どちらも高度でセンシティブな味なんですが、なんというのだろうね、ニュアンスが似てるんですよ。極上の「水」に近いのではないか、という考えが湧いたのです。上善如水、です。いや、越後湯沢のあれのことではないよ。研ぎ澄まされたものというのは通い合うものがあり、最終重なるのだ、と学ビました。お酒ではないものでもレストランで、たびたびそういう同じような体験をしたことがあります。一度づつ、そういうものと出会うと声が出てしまいます。ジャンルわけ、国わけなどは意味がないことを知るのです。

全く違う場所にあると思っていたものが、上に登れば登るほど、ジャンルという狭い枷が外れ、そんなものに意味のないことだと教えてくれます。そういうものがフセインシェフの料理の中にはあることを知りました。

 

ラム肉とごぼうのカレー

さあ、そして塚本シェフの料理。これはもう、塚本流としか言いようのない、彼のシグネチャーディッシュ。黒胡麻と牛蒡の楽しい組み合わせ、楽しい香りのカレーです。食べればもう塚本シェフの顔が浮かぶような、彼だけのオリジナルの味です。舌に引っかかる摩擦係数が少し強口感じる、それが特徴的でそれが好ましい胡麻のベーストの食感。勝手知ったる塚本シェフの世界観にたちまち引き込まれるのがとても楽しい。

肉とカレーソースとのバランスの話し、日本人的には「カレー」という括りの料理は「肉」、なのです。肉が大事。日本人が「なにカレー?」と聞くときに、その内包されるニュアンスは「なに肉のカレー?」と同等なのです。みなさん、そうでしょう?肉が大事なのである!と表明されることが未だ多い日本のカレーの世界です。しかしそれでは勿体無い。カレーソース自体が主役でそこに肉やらなんやらをバランスさせるのがわたしの好みの料理。塚本シェフの料理は好みなんであります。これぞ塚本流、いや、和魂印サイド。インド入ってる(声:クリス・ペプラー)

 

ガーリッククルチャ

 

どしっとくるナーン、、じゃないや、クルチャの、ガーリックの香り。味はさっぱりと軽くぺったりしない仕上がりで気分がいいです。冷めてもまったく美味しさが損なわれないのは驚化されました。もちろん温かいうちに食べるべきなんですが、でも冷めてもすごく美味しいまま。食べ応えと軽やかさが同居する良いものです。

押麦と赤米入りご飯

こういうごはんはホッとするよね。よく味わうときちんと素材の味が感じられるのですが、カレーと合わせるとごはんの存在感がスッと後ろへ退きます。多分こういうのがシェフの意図だと思うんんですよ。そういうのを考えながら食べるのは、楽しいなあ。塚本シェフのカレーはこちらにマッチするよね、と感じます。フセインシェフのカレーはやはりパン類に合う気がします。

 

エビのカバーブ

カバーブ、これはなんだろう。ろくすっぽ(わざと)説明書を読んでいないんですよ。それが楽しかったりするので。自分の舌で探検していく感じです。これ、魚介的なニュアンスが感じられるなあ。でも食感からすると豆とかをクラッシュしてペーストしたベジカバーブっぽくもあるなあ。答え合わせをしたら、エビをすり身にしてカバー部に仕立ててありました。ひゃーおもしろい。大変においしいです。わたしの舌程度では料理がなにであるか、まだまだわからない事も多いよなあ。それが楽しかったりするよねえ。

 

実はサーブの方がテーブルで簡単な説明はしてくださったんですが、あいにくわたしの耳は病気で性能低下が著しいのです。それを伝えるにはちょっとお店の中が忙しそうな空気だったので、遠慮してみました。

そうだなあ、例えばぺら紙1枚でもいいから簡単な、メニュー名とその内容を少し書いたものがテーブルにあれば、と感じました。HPの募集ページには出てたんですけどね。そうじゃなくて、耳が聞こえない人に対して、でもなくて。

ただ料理を出すというのではなく、レストラン体験という部分でそれ(メニュー名と説明が出ているシート)があるとないとではカスタマーの満足度が大きく変わるはずです。ある程度の金額を越える食事になると対価として料理の質と同時にレストランの色々な場所場所に「気遣い」が求められます。そこにこの企画ディナーの大事なところ「もしかすると日本のインド料理の歴史の大事な1シーンかも」というところにフォーカスして、記念品的、アイコン的に何か小さなカードに洒落た印刷とかで説明書とシェフのな名前なんか入ったものがあったら、記念になるよねえ。そういうの欲しいな(あたしが)。

 

チキンの西京焼き(タンドール窯焼き)

チキン、ひと口でわかる塚本流。カルダモンのようなゆずのようなほんのり香る柑橘がいい感じです。ああ、なんとおいしい。美味しいなあ。これは素晴らしいよなあ。食感も特筆で、なかなか大変なもの。なんだろうね、ちょっと高級なハムっぽいというか、繊維でほぐれる感じというよりももう少しみっちりと密な感じの食感になっているのがね、素晴らしい。

そしてこの繊細なマリネードの調味。本当に美味しいです。1ピースなのがもうなんかつらくなって泣けてくるほど。

タンドールでの調理という特化した調理法の中でこういう幅が出せるというのは日本人ならではだと思うんです。塚本シェフならではだと感じます。多分これがこの日のハイライト。フセインシェフと塚本シェフのタンドール料理での共演はなかなかに感慨深いものがあります。誰よりもシェフご両人がそう思ったのではないかしら。そ卯いうのを含めて相応しつつ味わう楽しさがありました。

 

チョコレートナーンとほうじチャイ

酸味のあるチョコレートというチョイスが巧みだなあ、と感じました。

チョコレートってのも、あれはおもしろいもんだよねえ。スパイス、コーヒー、チョコレート。これらはなんとなく繋がるものを感じます。

 

これでエンディングというのは映画的、小説的でとても楽しいな。チョコレートフィリングを塚本シェフが担当し、それをフセインシェフがナーンの生地で包んで焼いてあるんです。師弟饗宴の美しくチャーミングな幕引き、です。

 

や、楽しかった。

 

 

追記

帰り際、まだまだお忙しそうで、エントランスにどなたもいらっしゃらない。みなさんにご挨拶というのも時間をとらせて申し訳ないな、と小さくご馳走様を告げてそのまま店を出ました。うっかり飲み物代のみ別であったことを失念して店を出てしまったんです。(料理はイベント申し込み時決済であったので)ご迷惑をおかけしました。