人が亡くなることを嘆いても仕方がないのですが。しかし、なんという呆気なさだろう。そしてさようならが多い春です。
小野員裕さんはわたしのことを気にかけてくださっていて、大変に光栄でした。カレーが好きで食べ歩きなぞしていれば当然のように行き当たる「小野員裕」という名前。インターネットがろくすっぽない時代から、書店で手に取った小野さんの著書は数々あります。
「取り返しがつかない」「断腸の思い」などいう言葉を安易に使えないといつでも思っています。言葉の意味をよく噛み締めると本当にそういう気もちに至った時に口から知らぬ間にこぼれ落ちる言葉なのだから。だからね、安易に使えない。そんなふうに思っています。普段はそんなこと意識することはまずないのですが、いざそういう場面に行き当たると言葉なぞ出てこないことがよくわかります。ただもうむかしからの例えとしての言葉、「取り返しがつかない」というやつがもごもごと口を衝くのです。
「小野員裕さんが死んだ。」
わざと文字で書いてみます。小さい声で読んでみたり。亡くなった、逝去などいう言葉は使わずわざと「死んだ」と書いてみます。乱暴にしようが、甘い言葉でくるもうが、文字を見ても、その文字を見るにつけ違和感だけが残ります。そんなバカな、というつまらない言葉しか頭の中には浮かんでこないのです。それくらい現実感がないんだ。あまりにも突然で、呆気なくて。そんな中、そういう感覚のまま通夜の末席をいただきました。
クルマで出かけました。寺の裏手にコインパーキングがあったからね。喪服がキツくてね、サイズ合わなくなっちゃったから。買い直さなくちゃな。帰り道、クルマの中で喪服を着替えてエンジンをかけ、路地の奥へ進むと地域の斎場がありました。明日、小野さんはここから旅に出るのか。そうか。寺となんだか近いのだね。
小野さんの遺影の写真は赤いジャンパーを羽織った姿。意思をもってサラリーマンと決別して長くなる小野さんらしさがあって気に入りました。思わずニヤリとしたよね。
戒名がありました。後で友達から祭壇の写真をもらってから気がついたんですが。
「香咖喱員信士」
吹き出したよ。なんだそりゃ小野さん、その戒名(笑)。戒名って誰がつけるんだっけ。うまいよなあ。シャレのわかるセンスの良いお坊さんがいい感じにやってくれたんだろうなあ。よかったねえ。小野さんも向こうの岸で鼻の下を伸ばしているに違いないな。
知った顔が何人もいました。水野仁輔さんや中俣委員長、スパイシー丸山さん、エスビーのいつもの二人。田中社長や香取先生もお顔は見かけなかったけどいらっしゃったみたい。かなりの数の列席者だったからお会いできなかった方いたはずです。カレー店店主の顔もちらほら。祭壇にはエムシーシーなどスパイスメーカーや出版社、ラーメン店、カレー店の名前もあります。参列者、半分は飲食とメディアに関わる人たちかな、半分は小野さんの飲み友達かもしれない。そんな空気がありました。
連休の只中、突然の訃報からわずか4日での別れの夜。間に合わぬ方も東京にいない方もいたのでしょう。しかしそういう中、ここに足を運んだ人たちの顔をわたしは忘れないです。
小野さんとは一緒に仕事をしてみたかったなあ。現場が重なることや雑誌内でご一緒はけっこうあったんだけれど、ゼロベースで一緒に作る仕事というものをしてみたかった。なにか1冊、いっしょにやりたかったんだよね。カレーでも町中華でもない何かをやりたいなあ、とちょっと思っていたのです。
旅を主題としたおじさんふたりの旅先でのまち歩き食べ歩きの本なんてのを作ったら楽しかったろうな。テレビ番組でもよかったかもしれない。小野さんもわたしもクルマが好きなのでクルマ旅がいいか。いやでも電車で飲みながらというのもよかろうなあ。
わたしは小野さんの「カレー放浪記」に随分影響を受けています。影響を受けた、なぞ書いていますが、その内容は詳細には覚えていないんだよな。ただ、腹の中に刻まれた「これは指標たり得る」という思いはそこから動かずで、だから忘れた頃にたびたび読み返すんだけど。そして改めてその影響の大きさに1回づつ震えるんだよ。
気づけばわたしも小野さんと同じような道を歩いていると感じるのです。顔の向いている方向が大体同じという気がしています。好きなものとかさ、趣味とか物言いとか。
だからかしら、どうもこの本、予言書のようにも思えるのです。わたしだけに向けられた予言書、勝手にそう思っているんです。このブログ記事を書く手を止めて本を手に取ったらたちまち50ページ読んでしまったよ。これ、やはり予言書だな。わたしがいま思っていることや考えていることが先回りして出てくるんだ。わたしの脳の中を引きずり出されるような感覚があります。そのたび「普遍」という言葉を思い出すんです。
読み返すたびにわたしが普段滔々と人に語る事柄が全部書いてある気がする。もしかして知らぬ間にわたしはこの本をそのまま受け取ってしまっているのかな、それが口をつくのか。それが血肉になるということか。
小野さんは先に出かけました。こっちに残ったわたしには、まだやることがあるんだよな。
小野さんとのふたたびのおしゃべりはそれを終えてからからだな。