なんだかちょっとリセットかけないと仕事が進まない。そういう時がけっこうあります。そういうときは山に行くんです、お茶セット持ってね。山でお茶を沸かして飲んで帰ってくる。それだけなんだけどね。それでずいぶん救われる。少し仕事が進むようになります。
ちょいとまえですが、前に富士吉田のアーヴェントで和紅茶が売っていてね。説明書きが面白かったので買ってきました。どうやらほうじ茶っぽいみたいだよ。あれを山んなかで淹れ手みよう。野でお茶を点てる。まさにそれが野点です。
「熊本県水保市の天野さんが作ったほかに無い魅力の和紅茶。ほうじ茶のような香りで渋みがなく甘さの余韻が強い、誰もが飲みやすい紅茶。」という説明書きがあったんです。おもしろそうで絆されて買ってきたわけですが、おどろいた。
なるほど、おっしゃる通りだこれ。もう本当に文章その通りの味がして、こころから驚いた。驚くほど角がないんです。まろやかという言葉をそのままお茶にとかしたような舌触りと喉越し。チタンのポットで沸かしたお湯が良かったのか、それとも水が良かったのか。
そこらへんの判断はつかないけれど、とにかくお茶が好みだったな。紅茶なわけですが、ほうじ茶的な香りがあって紅茶とほうじ茶の境界線がうっすらと消えていく感じがあります。すごいなこれ。大変においしく、美しい。
この日はチタンのポットをおろして使ってみたんです。これ、よかった。
注ぎ口のノズルが脱着可能。ネジ部にはシリコンパッキンなど入っていて凝った作りです。ノズルを外した時用に小さなこれもチタンでできた繊細なキャップも付属していました。うわあ、これなくしそうだなあ。なくすとショック大きいよなあ。サイズが小さいのでこれに取り替えるとカップとしても使えそうです。
本来ならきっとコーヒーを淹れるために使うタイプのケトルだと思います。ドリップポットと呼ばれてるやつの屋外用、でしょうか。中国の茶器などの小さなタイプのものに使うのにも適しているんじゃないかと選びました。気に入ったな、これ。
なんとなく思うのが、わたしの野外活動のスタイルでいくと、お茶だけかっちりと淹れられて、それが是対条件であとは温め程度の調理ができればよし、という火の周りキッチン周りの道具のセット。いまの理想はそれです。だんだん自分のスタイルが見えてきたな。
リラックスがいちばんの目的なので、余計なことはやらない。ただもう、山でなにもせず時間を過ごすだけ。その中でお茶という要素はね、捨ておけないのです。そんな感じのスタイルをまとめてパックできれば(道具も、スタイルも)東京に戻っても文章が多少するりと出てくるはずです。
さて、暗くなってきた。山の日暮れは早いですよ。サーモタンブラーに2煎目のお茶の残りを入れてやって東京に帰ろうかね。
標高1500メートルの涼しさ。帰り難いな。