
久しぶりに明るい時間帯に辿り着いたなあ。鴨川・江見吉浦の海岸沿いを走る国道128号線沿い。勝浦を背に鴨川に向かう。海抜の低い漁港沿いの道から崖上の見晴らし良い馬祖まで上がって左側に見え隠れする海を楽しみつつ、あの店に到着。
カレーですよ。
ここには何度も来ているんですが、どうもいつでも夜間帯になってしまうんだよな。メニューが昼夜で大きく変わるわけではないのだけど、昼間に来れると少し得をした気もしないでもないんです。道中で海が見えるからね。

鴨川の
「ライバック」
にやってきました。楽しいお店なのです。通ううちに徐々に徐々に、店主のやりたい、やっている世界観が薄皮を剥がすように見えてくるんです。それが楽しくて、自分でなにをしているわけではないのですが、自分の中での料理や店の姿勢への気づきが嬉しくて、自分が成長している気分になって、また思い出しては通うのです。

どうもコレクター気質があったようで、新しい店、あまり行かない店、遠くの店など求めてしまい、大事な1店だけに通うというのを放棄してしまっている気があるんです。仕事柄っていう言い訳もあるけどね。最近ではそれも少し収まりいく場所がなんとなく定まったりしてるかもしれない。そういう中で、通うからこそ見えるものの楽しさなんてのを今更ながら再確認したり、ね。

それで、ここでの気づきが何なのかというと「ライバックの料理はフランス料理」なのだと思うところ。作法がフランス料理、西洋料理の土台を持っていると気がつくのです。食事の作法って話しじゃないよ。料理のスタイル、かしらね。

以前から言っているんですが、ライバックのカレーはソースです。カレーではなく、カレーライスではなく、ソースです。それはつまり煮込み料理ではないということ。
ライバックのカレーは分類的にカレーライスとは呼んではいけないと思っています。いわゆるカレーライス的な具材をいれて煮込んでゆく料理とはちょっと違うニュアンスがあると気づいたから。煮詰めている感があるんだよね。煮詰めるという言葉を使うのも意味と取り方で難しいところもあるんですが。水分を飛ばし粘度を出し凝縮させる。これはつまりソースです。そしてにんじん、蓮根、里芋にこんにゃくを出汁の中に入れて加熱、煮込んでいくのは、これは煮込み料理。それとはちがうんです。そういうことだなあ。

カレーというものはカレーソースであり、カレールウでもましてやルーでもなく、いつでもわたしは「カレーソース」という言葉を使うのですが、「ライバック」の料理はただもう西洋料理のソースの手法を用いているということに尽きるんですよ。

「ライバック」は料理をソースでまとめるフランス料理の文脈があると感じる料理が多いんです。その証拠に提供されるスプーンはすくう道具というよりもバターなどを切ったりするナイフに程近く、ソースをこそいで料理に擦り付けてやる役割を持つような形をしています。まあこれはわたしが無理やりこじつけている感もあるんですけどね。

具材は基本別調理。これも具材と言ってはいますが、メインの食材という捉え方が正しいのかもしれないね。それはつまりソースと具材は一緒には調理しないから。もちろんフランスにも具材を煮込んでいく煮込み料理はありますよね。が、家庭料理に多い気がしています。そちらの文脈ではないと思うんだ。

そしてその「カレー・ソース」は皿に敷いてあります。ごはんにかけるでなし「皿に敷いてある」のであるよ。これはつまり煮込み料理かけごはんである「カレーライス」の文脈では明らかにない。そうでしょ?そういう気づきを自分で辿りながらそれを反芻して脳に定着させる楽しみがあるんです。目の前の料理の解像度が上がっていくのが快感です。

そしてここまでのわたしの文章は考えすぎなわけです。こんなに考えすぎの客しか来なかったら「ライバック」は商売が成り立たないよね。だからごくカジュアルにパッケージされていて店内のテレビもちょっとごちゃっとした入口も許容され「カレーやさん」と呼ばれることを厭わないというスタンス。気軽さが醸し出されています。

とはいえ出てくるものは「カレー」という言葉で済ませてしまうのはまったく手落ちという代物、言い換えればカレーという多くの人が家庭料理という認識を持つ料理をを素晴らしい地平に引き上げる力も持っているひと皿なんです。こころから素晴らしい。

店主が長く研鑽した西洋料理の技術や理論が背骨となっていて、結果サラダのドレッシングに「おやっ」と思わされ、ミネストローネスープに「本物のミネストローネってこれかも」となって。サラダ、スープ共に手間がかかっているのがわかるのです。

そして最後に「すごく美味しいカレーだけどほかで食べたことない感じ。キリッと引き締まった品格のようなものを持っていて下世話じゃない感じで、、、なんだろうこれは」という疑問をお客の頭に植え付けます。さあもう逃げられない。また来たくなる。それが、わたし。
貴兄もゆめゆめ油断めさるな。
