【コラム】誰のものでもない自分だけのカレーを食べにいきたいというはなし。もしくはわたしの夢。

 

いちばんはじめに言ってしまうと財布一つ持って携帯電話もカメラも置いて出掛けたいな、という話しです。

わたしの仕事は文筆業。小説家でもコラムニストでもなくて、雑誌の連載をこなしたり単発の執筆をウェブ、紙、媒体問わずに書き散らしている食中心の文章書き。とはいえデジタルガジェットやアウトドアギアなど男性の趣味関係の文章なんかのお仕事もきます。

で、カレーなんですが、一つ夢があるのです。

 

仕事でもありとても好きなものであるカレーライス。日々レストランに食べに行っていますが、自分のカレーは果たしてどこにあるのだろう、という思いが湧き上がります。理想のカレーはいかに、という話ではないです。それは、共有と記録という話し。

食事が出てきて、写真を撮って、食べて、考えて、店を出たら少し胸の中で寝かせて、写真を見ながら記憶の輪郭をもう一度作り直して。記憶を記録に移すためメモをして。必ずこのサイクルにはいります。

そしてそのあとは共有。人に見せるための作業を経てわたしの食事はみんなが見られるものに変化します。 それが仕事だと考えています。

 

食の楽しみってなんでしょう。千差万別あるけれど、根源的にはからだが欲するものを必要分と考えて欲するだけ食べるということかな、と考えています。飽食ではなくて、からだが欲する必要量。そこに楽しみとしての味覚が乗ります。他には余分な要素は一切なし。そうやって基準を作ってみると、先に挙げたわたしの食事はどうにもゆがんだものだなあ、と感じるのです。自分だけが欲する自分だけの摂食を執り行いたい。根源はそれです。写真も記録もいらないのです。そこにはその根源にしかない快楽があると思っています。

 

つまり、

 

「携帯電話もカメラも置いて、財布も持たず、ポケットには札を何枚かだけ入れて、一番気に入っているレストランに出かけたい。すべて削ぎ落として誰のものでもない自分だけの食事を黙ってしてみたい。」

 

というお話し。オチもなんにもありません。

もしかするとあなたにもこの話しに似たようなことがあるかもしれませんね。