【写真展】ジェットダイスケ写真展「耳鳴りの境界 ─ 水辺のかたちを知る試行錯誤 II ─」を見に行ってきた。

ちょいと足を痛めて引き摺りながら行ってきた、西新宿の「OM SYSTEM PLAZAギャラリー」。そうか、オリンパスの、、、じゃないのよね。OM SYSTEM PLAZAってここにあったのか。

オリンパスの(今度は間違ってない)OM10-EM、、いくつだっけか。を、持っている。壊れているんである。オートだと撮れるがMとかAとかにまわすと写真が全部緑色に映るんだよ。困ったもんです。うっかり忘れていたが、その相談もしてくればよかったな。

2026年5月21日(木)〜6月1日(月)にて、

 

ジェットダイスケ写真展「耳鳴りの境界 ─ 水辺のかたちを知る試行錯誤 II ─」

 

が開催されました。今年のまだ寒い時期にジェットから「5月下旬に東京で小さな写真展やるのできてね」と言われていたのです。もちろんいく。いったよ。

作品は組写真が9組で計18枚。モノクロームだったりカラーだったり、遠景だったり近景だったり。富山湾の蜃気楼の話しは何年か前に本人から聞いたことがあって面白そうだなあ、と思っていました。写真の奥の方に霞む建物、その建物を近くまで見に行って撮影した写真も。遠景の蜃気楼は粒子感が強くあってちょっと惚れ惚れする雰囲気。ラフモノクロームって言ったっけか。

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他者の耳鳴りを聴くことはできない。それは個の内にのみ現れる。蜃気楼という大気光学現象もまた同様である。光の屈折により、観測者からは遠方の風景が歪んで見える。しかし実際に遠方の地形が歪むわけではない。

2025年1月、私は左耳に突発性難聴を発症した。以来、音の輪郭はぼやけ、発振器のような高音の耳鳴りが絶えず押し寄せてくる。

同年5月、生まれ故郷の富山湾で蜃気楼を取材した。十年ほど撮影を続けてきたが、特にこの時は春霞が濃く、得られた像は精細さを欠く不鮮明なものであった。それに比べれば、ザラついた写真の粒状感の方が、むしろ確かな実在性を帯びていた。

「私の耳と同じだ」

翌日から蜃気楼の像のもとである対岸の街を訪ね歩いた。橋、灯台、煙突、高層ビル。特徴的な建造物が明瞭な解像度で迫ってきた。砂浜では、波に運ばれた流木が点々と横たわっていた。それらは海と陸との境界が曖昧であることを示す痕跡だ。耳鳴りもまた、外界と内面のあいだに揺らぐ、私自身の境界線かもしれない。

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上の文章は写真展のをまるっきりそのままもらってきたやつ。それで、当日のアーティストトークを聴きに行ったんですが、まあやっぱり体調と耳のおかげで3割ほどの理解という感じであったから聞くのは早々に諦めて、作品を眺めて展示機を眺めているうちにセッションが終わりました。

作品は、物静かな空気があり、ジェットダイスケの今いる位置がうっすら見える感。ソニーのアルファを使った蝉の写真の展示の時は機材を面白がるスタンスと生き物への驚嘆があって、若々しい感を受けたのをよく覚えています。今回は相応に年齢を経て体の変化もあって、というのが感じられました。

それと当たり前のことを再度思ったのは、写真はやはり「現場にいないと撮れない。その日その場所にいたものだけが手にできる」ということ。チャンスをモノにできる環境や行動が自分の思う作品を得られる要因なんじゃないかな、それともそれは関係ないのかなあ。

久しぶりにジェットの顔を見られてうれしかった。なにを話したというほどじゃないけど二言三言やりとりができてなんというか、安心したよ。写真展のアーティストだから独り占めもできないしね。早々にお暇。

あ、カレー売ってた。買ってきた。