
最近サンドイッチが面白くて仕方がないんです。広義でハンバーガーも含まれる、かな。ホットドッグとか。サンドもバーガーもホットドッグも挟んで食べる食べ物なわけですが、わたしはインド料理やその周辺国の料理をたくさん食べて、舌や体験がこなれてきて、その先にサンドイッチなんてところへ辿り着いて面白がっているんです。
少し前にお招きをいただいて出席をしたロイヤルホールディングスの新事業、天丼おにぎりの「おにどん」での食体験でも気がつくところが大きかったんです。インド亜大陸周辺料理と天丼スタイルおにぎり。どちらにも「混ぜ食べる設計」がありました。「おにどん」の天丼おにぎりはハンバーガーに重なるところがあるな。
この話しの軸はざっくりいうと「混ぜ食べる」というキーワードから成るものです。混ぜて食べる食文化。そこには初めから混ぜるスタイルと口中調味の2種類の道があると考えています。口中調味/口内調味は日本独特の文化でいわゆる三角食べのこと。意外かもしれないですが、口中調味は日本人の独特のスタイルなのだとか。日々当たり前にやっている我々なわけですが、それは知らなかったなあ。
とあるYouTubeの動画を見たことを思い出しました。イギリス人の女の子がボーイフレンドと一緒にやっているチャンネルでのこと。女の子の家族、イギリスに住んでいる家族が日本にやって来て食事をするんですが、和定食的なセットメニューを食べています。彼女の弟です。彼は白ごはんを白ごはんとして食べます。美味しい!美味しいと感激しています。おかず乗せなし、途中で漬物や副菜も追加せず白ごはんだけで食べ、飲み込み、完結。続いておかずに移ります。あ、しゃけだけ食べてる。
わたしがなにかひどく違和感を感じていたのはそこでした。彼はなんで白ごはんだけ食べるのか。漬物とか、大幅譲歩して塩振るとか、、、その違和感は三角食べ、口中調味をしていないというところだったのです。
一方、インド亜大陸周辺の食文化。やってきた数種の料理を手元で混ぜて好みの味を作り出し、それを完成させてから口に運ぶというもの。そういうものを知っているし、実践もしています。それで満足感は大きく上昇しますからね。
しかしよく考えて反芻したりするとやはりわたしは日本人で、ベースに口中調味があると思い知るんですよ。知らぬ間に、ごはんをまずすくい上げ、インドの煮込み料理や炒め料理を追加で口に入れていたりする。カルチャーとして頭で理解して混ぜてから口に運ぶことをしているつもりだったんですが、気がつけば、なのです。意識をしなければその意味さえ気が付かなかったな。
インド周辺国の混ぜ食べるやり方は食べ手へ依存する割合が大きいと思うんです。チョイスの権利が食べ手側にあるという意味。スリランカのホームスタイルなど顕著なんですが、選んで混ぜて、混ぜ終わってから口に運ぶ。それを食べ手が好みで順次調整をしながら食べ進める。なにをどれと混ぜたいか、どれくらいのわりあいにするか、チャトニや副菜を混ぜるか混ぜないか。食べ手の意のままにコントロールされて食事が進んでゆきます。インド料理は概ねそうだと思うんです。
フランス料理を考えてみる。この場合コース料理を想像するんですが。1皿1皿で完結したものがシェフの考えと構成のもと、トータルでの体験になるような意図で順番に出てくるじゃないですか。1皿でひと区切り。口中調味には向かないスタイルだと感じます。もちろんアラカルトで自由にやってる人もいますけど。
これと背中合わせで対比させると日本なら一汁三菜が基本の和食。すべてがいっぺんに出てきて考えることなくごはんとおかずを一緒に食べ、組み合わせを楽しむ。口の中で味の変化を最大限に楽めるやり方で自由度が大変高いなど考えられるんじゃないかな。
話が一番初めに戻って、サンドイッチやハンバーガー。これらは混ぜ食べるというニュアンスでは同じフィールドにあると思うんですよ。が、その組み立ては目の前にやってきた皿の上ですでに完成されているんです。なにがどう混ざって食べ手にどう感じさせるかのマップが出来ているから。それに沿って食材が組み合わされ、たとえば途中での味の変化や後味の部分まで良い意味で作り手にコントロールされていると感じます。
そうなると今度は日本のラーメンのスタイルなども気になってくるよね。昨今のあれは食べ進めるとオートマチックに味が変わっていく設計。それは設計者の意図。食べるほどに混ざり、融合し、その味がグラデーションになるように考えられていておもしろいんです。
そこからアイディアを持ってきてカレーに反映させているカレー専門店もあるみたいです。シェフ主導での味変、ということかね。勉強熱心、探究心強い料理人なのだと思います。
混ぜ食べる食文化は口中調味の日本とそれをやらないそのほか。そんな対比もできるのではないかと思っています。ただし、食というフィールドは広大で、この話しも俯瞰をすれば大海の中の一滴という話しでもあると認識しています。なにしろ食の体験ってそのひとその人で全部別の体験ですから。
だから、まだまだこの話は練り足りないと思って書いています。
